3月24日(月)配信 株式会社クロステン 代表取締 太田慎吾

1993年生まれ。神奈川県出身。多摩美術大学卒業。16歳から内装リフォーム店でアルバイトを始める。 その後、多摩美術大学に進み、在学中の2016年に起業。結婚、マイホーム購入を経て、2020年に株式会社クロステンを法人化。2022年に離婚。現在はシングルファザーとして娘を育てながら、社長業をこなしている。
笠井:31歳の若い社長さんですが、クロステンではどんなお仕事をされていますか?
太田:リフォーム工事全般を請け負っています。また、住宅の原状回復工事、インテリアデザインのコーディネート、不動産の買取再販、家具・家電の販売などをトータルで行っています。
笠井:経歴を拝見しますと、16歳の高校生のときに、内装リフォーム店でアルバイトを始めたのですね。高校時代に今のリフォームのお仕事に出会ってらっしゃるようですが、なぜバイトはコンビニ店員じゃないんですか?
太田:高校時代はサッカー一筋だったのですが、けがをしてしまい、やれることがなくなってしまいました。自分が次にできることは何だろうと考えたときに、美術大学に行きたいと思ったのですが、調べるととてもお金がかかることがわかりまして・・・。
笠井:絵やデザインには自信があったんですか?
太田:まったくなかったです。
笠井:かっこいいとか、そういう動機ですか?
太田:そうです。美術大学に行くのに絵を描かなきゃいけないってことすら知りませんでした。
笠井:ここでリフォームの道に進んだのは何か目的がありそうですね?
太田:もともと友達のお父さんが内装工事の会社をやっていて、その方に美術大学に行きたいと話したところ、アルバイトに誘っていただきました。多摩美一本で、ここしか行かないっていう気持ちでやりました。
笠井:ところが、大学在学中に起業されました。ここが早い。
太田:大学在学中にやりたいことがあまりにも多かったんですね。やりたいことが多すぎて、どの会社に行けば自分のやりたいことができるんだろうと考えたのですが、なかなか決め手が見つかりませんでした。自分で一つの形にするしかないと思ったのが、起業のきっかけです。
ただ、今思うとどちらかというと卒業してから起業する方が怖かったように思います。

笠井:もともと起業マインドがあったんですか?
太田:小学生のときに、ざっくりと社長になりたいという夢はありました。子どものころからリーダー気質でもあります。とはいえ本当に何も考えず、ただかっこいいから社長になりたいというくらいの気持ちでした。
笠井:そして、2020年に株式会社クロステンを法人化されました。これは卒業して何年後ですか?
太田:4年ほどですね。従業員は私を含めて4人います。
笠井:会社立ち上げからここまで順調でしたか?
太田:まったくと言っていいほど順調じゃないですよね。3歩進んで2歩下がって、4歩下がるときもあるような感じでした。
笠井:でもそんな中で結婚されて、マイホームも買ってるじゃないですか。
太田:マイホーム購入のご依頼を受ける際、お客様から「ここが大変だった」「こういうところに困っている」といった声をいただくのですが、当時20歳前後の私には、どうしてもマイホームを買う人の気持ちがわからなかったのです。やはり自分で買わないと、お客様の悩みに寄り添えないと思いました。
家を買って契約書にサインするとき、手が震えるほど怖かったです。35年ローンをこれから返していくと思うと怖くて・・・。でも、お客様も同じ想いなんだなと気づけましたね。
笠井:当時24歳ですもんね。なかなかチャレンジングです。さらに結婚を機にですから、余計に責任も重いですよね。と思ったら、28歳で離婚されたんですね。何だか人生の歩みが早いなと感じます。
太田:若くしていろいろな失敗をしたのかなと思ってはいます。
笠井:奥さんがお子さんを連れていくという形ですか?
太田:いえ、私が子どもを引き受けて、社長をやりながらシングルファザーもしています。
笠井:なかなかの人生を歩まれていますね。そういういろいろなバックボーンがあるとのことですが、仕事へのこだわりについて教えてもらえますか?
太田:お客様には「家のことは何でもお任せください」とお伝えしています。というのも、リフォーム業者でよくあるのが、営業スタッフがお客様に提案し、各工事を複数の専門業者に依頼して、一つの家をリフォームするというやり方です。ですが弊社は、プランニングから施工まで一貫して自分たちで引き受けるスタイルをとっています。実際に私も現場に入って工事をしています。
笠井:それってとてもいいですよね。デザインや設計の細かいニュアンスが、外注業者に伝わらないことがあるじゃないですか。設計図面を見ただけではわからない、お客様のこだわりをくみ取れますよね。
太田:そこが一番の強みです。ただ、最近はこうしたスタイルのリフォーム業者が増えています。そんな業者との違いとして、弊社は“もっと前”と“もっと後ろ”もやるんです。
お客様が「不動産を買いたい」と思っているところからサポートさせていただいています。
笠井:つまり、中古物件を一緒に探すところから始まるんですね。古い家でもいいから、リノベーションして暮らしたいというニーズに対応しているということですね?
太田:そうです。さらにその後ろの方もやっています。私たちが完成させた家を、私が撮影して、写真や映像にしてお客様にお渡ししています。多摩美で専門的に学んだ映像技術を活かしています。人生をかけて学んできたすべてのことをお客様に提供しているような形です。
笠井:それこそがクロステンの特徴であり、強みなんですね。
太田:多摩美で培ったデザイン力もそうですが、マイホームを買うときの緊張、離婚後もマイホームに住み続けられるのかという不安、シングルファザーになってわかったキッチンの導線の重要性なども、仕事に取り入れています。
私の人生こそ一番の武器であると思って仕事をしております。

笠井:お客様からの評判はどうですか?
太田:涙を流して喜んでくれる方がいましたね。お客様に喜んでいただきたいという一心でやっていて、リフォーム業をやっているという感覚はあまりないんですよ。どちらかというとブライダル業のような感覚です。お客様にとって一生に一度の一番大きな買い物を、一緒にお祝いしてあげたいと思っています。
笠井:後半は、仕事へのこだわりや未来へのビジョンを3つのキーワードで伺います。第一のキーワードは「モチベーション」。太田さんの仕事のモチベーションはどんなところにありますか?
太田:離婚したとき、立ち直れないぐらいまでどん底に落ちたんですよね。周りの人からも「かわいそうだね」とか「大丈夫?」といった言葉をかけてもらったんですが、そのなかで一人だけ「良かったね」って言ってくれた人がいたんですよ。「こんなにつらい経験をして、こんなに人の気持ちがわかるようになった人は、ほかにいないよ」って。
笠井:太田さんが離婚をして変化できたことに、気づいた方がいたんですね。
太田:自分に足りなかったものはそこなんだろうなと思いましたね。技術と知識はずっと磨いてきたつもりでしたが、これから先もう一歩進むにあたって、人の気持ちを理解すること、人が喜ぶことをしてあげること、困っている人を助けてあげることが大事だとわかりました。この一言をもらったとき、どん底から立ち直れたんですよね。自分がやるべきことが見つかったと思いました。
笠井:今お話ししながら、ちょっと目が潤んでいらっしゃいますが、それほど貴重な助言だったのですね。
太田:ここでもう一回前に進まなきゃと思ったときに、今まで自分が安定した人生を目指してきたことに気づきました。ただこれって、将来娘に胸を張れるのかなと疑問に思いました。自分の夢を追いかけなきゃいけない。夢を叶えたかっこいいパパにならなきゃいけない。そう思ったのです。
何かあるたびに「娘に将来胸を張って、かっこいいパパだって言ってもらえるのかな」というところを気にして仕事をしてますね。
笠井:娘さんの存在こそが新たな原動力になっているのですね。
太田:私をここまで成長させてくれたのも娘がいてこそです。
笠井:続いて、第二のキーワードは「信念」です。太田社長の信念はどんなところにありますか?
太田:昨年、娘が大きな病気になってしまい、2週間の入院が必要になりました。ベッドに身体を固定するといった、4歳の子にはあまりにも耐え難い治療内容でした。
私は先生に「できることは何でもします。娘にとって楽しい2週間にするので入院させてください」とお伝えしました。すると先生が「子どもはパパが一緒にいると元気になる。パパには不思議な力があるんですよ」とおっしゃったのです。
その言葉を聞いたとき、家も同じだと思いました。家に帰った瞬間、なんだかホッとできるのは、家に不思議な力があるからだと思ったのです。こういう不思議な力を家に宿してあげることを信念としています。
また、娘が今「将来お医者さんになって、この先生と一緒に働きたい」と言い始めたんです。子どもに夢まで与えてくれて、私としてはなんとお礼を言っていいかわからない状況なのですが、私も子どもに夢を与えられるような仕事をしていこうと思いました。
笠井:一つひとつの話がとても響きます。そして、第三のキーワードは「未来へのビジョン」。今後の目標やビジョンはどんなところにありますか?
太田:不動産買取再販は始めたばかりの事業なので、ここでしっかり実績を重ねて、たくさん作品を作って、その作品の中でたくさんの家族の笑顔が生まれてくれたらいいなと思っております。
あとは、建設業はあくまで自己表現の一つの手段に過ぎないと思っているので、自分がやりたいことには全部挑戦したいです。商品開発をしたり、こうやってメディアに出ていろんな人に出会ったりして、一人でも多くの人に「太田に出会えて良かった」「太田の一言で救われた」と思われるような人間になりたいです。娘に胸を張れるような、最高の人生だったと思えるような仕事をしていきたいと思っています。
