9月29日(月)配信 株式会社ぶらんち 代表取締役 佐藤美鈴
1963年生まれ。ヤングケアラーを経て、津田塾大学へ入学するも、母の死をきっかけに大学を中退する。その後、ダイヤモンド社に入社し、26歳で寿退社。専業主婦となった後、シングルマザーになる。介護の仕事をしながら、子育てをし、11年前に株式会社ぶらんちを設立し、現在に至る。
眞鍋:今回は、株式会社ぶらんち 代表取締役の佐藤美鈴さんにお越しいただきました。ものすごくハツラツとした女性が現れたので、ちょっとびっくりしました。
佐藤:一応、パワーだけはあると言われています。
眞鍋:パワーを感じます。株式会社ぶらんちの名前が面白いなと思ったのですが、ぶらんちとはどういう意味でしょうか?
佐藤:皆さん「ブランチ」というと、朝とお昼の中間のお食事のブランチと思われがちですが、社名の「ぶらんち」は、大きな幹があって、その枝葉のことを指しています。
眞鍋:そちらの意味だったのですね。
佐藤:そうです。
眞鍋:事業内容を教えてください。
佐藤:訪問介護、在宅での介護を支える事業です。特に介護の中でも、毛細血管と言われている訪問介護サービスをしています。
眞鍋:超高齢社会の今の時代、大切な事業ですけれども、訪問介護というのは、お風呂など生活のお手伝いということでしょうか?
佐藤:はい。おむつ交換やトイレ誘導、入浴サービスという身体介護はもちろんのこと、生活を支えるということで掃除や洗濯、調理など、その方の生活の土台を支えるサービスも行っています。
眞鍋:今すごくお世話になっている方も多いサービスだと思いますが、会社はどちらにあるのでしょうか?
佐藤:港区の麻布十番にあります。
眞鍋:おしゃれなエリアにあるのですね。サービスを受けられるエリアは、どちらでしょうか?
佐藤:港区や目黒区、渋谷区、中央区、千代田区で対応しています。高齢者の方のサービスだけではなく、障がい者の方のサービスも行っています。障がいを持つ方も成人の方から高齢の方までいますので、介護と障害をミックスした形のサービスもあります。
また、今は障がいをかかえるお子さんも増えておりますので、お子さんに対するサービスも用意しています。昔と違って、親御さんも働いている方が多いので、働いている間、私たちのサービスを活用される方もいます。
眞鍋:本当に幅広い分野の知識やノウハウというのが必要になってきますよね。
佐藤:そうですね。

眞鍋:佐藤さんの経歴を拝見していると、ヤングケアラーの経験もあるのですか?
佐藤:私がちょうど10歳の頃に、母が心臓の病気で倒れました。小学校の間は、まだ母もなんとか自分で身の回りのことができていたのですが、中学に入ると、入退院繰り返すようになったため、私は学校に行きながら、母の介護をしていました。高校の時にはさらに症状が悪化し、20歳の時に亡くなりました。小さい頃は、介護が日常という生活をしていましたね。
眞鍋:なるほど。そこからまたお仕事として、介護の世界に入ったのですね。
佐藤:絶対やりたくないと思っていたのですが、結果的にそうなりました。
眞鍋:どのような流れで、介護に携わるようになったのですか?
佐藤:母が亡くなった後、大学も中退し、出版会社に就職しました。その後、寿退社をして家庭に入りました。離婚したのですが、元夫から「高齢者の人によく話しかけられるよね」と言われました。思い返すと、ただ座っているだけなのに、とことこと高齢の方が歩いてきて、横に座り私に話しかけてくるということが、結構あったのです。「介護が向いている」と言われた上に、その頃の日本は「そろそろ介護保険を制度的に作っていこう」という世の中の流れもありました。そのため、「今度は介護を日常ではなく、仕事としてやっていこう」と思うようになりました。
眞鍋:その時は起業ではなく、まずは介護の現場で働いたのですか?
佐藤:そうですね。現場で働いたこともありましたし、介護に携わるベンチャー企業に就職したときは、法人営業や企画部門にも配属されました。現場に限らず、いろいろな介護の分野を見させていただきました。その後、「介護の仕事をやりきったかな」と退職しようとした際、仲良くしていた女性の社長さんからたまたま声をかけられ、起業にいたりました。
眞鍋:そうだったのですね。
佐藤:声をかけられた当時は、私はその女性の社長さんの手伝いをすると思っていました。
眞鍋:もともと、そういう話だったのですか?
佐藤:そうです。「自分は介護のことが分からないけれど、新たな事業を作っていきたいから、美鈴ちゃん手伝ってくれない?」と言われていました。その後、手伝うことになったとき、「あなたがやるのよ」という話になり、驚きました。
眞鍋:今も続けられているということは、きっと天職だったのでしょうね。
佐藤:やっとそういうふうに思えるようになりました。もう約30年近く、仕事として介護の業界でお世話になっています。その中で、やっとこの終盤に来て、もしかしたら、介護の仕事が天職なのかなと思い始めたぐらいです。
眞鍋:そうですか。インスタグラムを拝見したのですが、すごくおしゃれですよね。お花の写真がたくさん載っていて、華やかでした。
佐藤:介護の中では、おしゃれをせず、大変だからと、動きやすい格好をしてお仕事することが定番です。ただ、例えば自分が介護を受ける身になった時に、そういう人が来ると、「私はもうこんなに動けなくなっちゃったのかしら」というふうに思うと感じました。おしゃれな人が来たら、「私もちょっとおしゃれしてみようかな」と思ってくれるのではないかと考え、華やかな雰囲気も大切にしています。
眞鍋:絶対そうだと思います。佐藤さんが現れた瞬間、まさに元気をもらえそうな方という印象を受けました。
佐藤:できるだけ流行っているTシャツを積極的に着るようにしたり、あまり暗い色ではなく明るい色を着たりするようにしています。そして利用者さんのところに行くと、「それいいわね。私にも買ってきて」と言われることもあります。

眞鍋:11年会社を続けてこられて、これから力を入れたい事業や今特に力を入れている事業はありますか?
佐藤:介護の知識は、介護が始まった後ではなく、少し前から知ってほしいと考えています。そのため、介護の知識を知るための介護のセミナー研修を進めていきたいと思っています。あとは、介護が始まったあと「今の自分がやっている介護が自分たちに合っているのか」、「これでいいのか」と、とても迷うと思います。今は行政さんでも相談窓口はありますが、行政のできる範囲は限られていますので、もう少し視野を広げた相談窓口を作りたいと思っています。
眞鍋:どんどん相談に乗っているうちに、利用者さんから、親戚のお姉さんみたいな感じに思ってもらえそうですね。
佐藤:第三の家族、おせっかいやきのおばさんという感じになればいいなと思っています。
眞鍋:これから本当に必要なことですよね。
佐藤:そうですね。誰しも命があれば最後は死があります。その死を迎える前には何人かのお世話になって、介護というのが発生します。だったら、もっと介護をうまく活用し、できるだけ多くの情報を知って、チームを作って、できないことがあったとしても、「自分らしさをなくさずに、命を全うしてほしいな」と思っています。そのため、私がお役に立てることがあれば取り組みたいと考え、介護セミナーと相談窓口をやろうと思いました。
眞鍋:本当に介護のことだけではなく、人生を締めくくるまでに、いかに幸せに過ごせるかということですね。
佐藤:そうですね。
眞鍋:私も今父も70代になったのですが、今後もしそういったことを考えるタイミングが来たら、ぜひ佐藤さんの門を叩きたいなと思いました。今日はありがとうございました。
佐藤:ありがとうございました。

