10月7日配信回
2024.10.07

10月7日(月)配信 医療法人慶承会杉原クリニック 理事長 古川健司

略歴

慶應義塾大学理工学部を卒業後、山梨医科大学で医学を学び、東京女子医科大学消化器外科に入局。長年にわたり東京都の公社病院で消化器外科や内視鏡科を専門に診療し、訪問診療の経験も豊富。2020年より医療法人杉原クリニックの院長に就任。消化器系のがんの早期発見や予防に注力し、地域医療に貢献している。著書に『ケトン食ががんを消す』(光文社新書)などがある。

笠井:杉原クリニックの理事長・院長の古川さん。本日はよろしくお願いします。クリニック名と名前が違うのは理由があるんでしょうか。

古川:元々、先代の院長は地域医療でクリニックを30年やってまして、そこを引退されるということで、先代の杉原先生の名前のクリニックを私が継ぎました。名前が変わらないことで、地域の人がすごく安心するんですよね。クリニックがそのまま続くということなんで。

笠井:確かに、地域に根付いた医療ってそういうものですよね。

古川:名前を変えない方が、患者さんが安心して来れるので。僕はそういうポリシーでやってますね。

笠井:素晴らしいですね。病院はどちらにあるんですか?

古川:横浜市の青葉区、田園都市線の市ケ尾駅ですね。

笠井:私、昔そこに住んでいましたので、よく存じております。環境のいいところですよね。経歴を拝見しますと、慶応大学理工学部を卒業されていらっしゃるのですか?

古川:実は経歴がちょっと変わっているんですよね。元々工業高校にいたので、進学校じゃなかったんです。医学部も受験したんですけど、当時は受からなくて。とりあえず慶應に進学をさせていただいたんです。

笠井:慶應大学卒業後に、山梨医科大学医学部に進学されたそうですね。

古川:就職も決まっていたのですが、やはり自分の夢、医者への道が捨てきれなくて。もう1回再受験をして医学部に進学しました。

笠井:夢に向かって突き進んでる人生でいらっしゃったんですね。

古川:無謀だったんです。

笠井:いや、若い時は無謀であった方がいいですよね。だって今こうやって院長先生で理事長先生になってるわけですから。山梨医科大を卒業した後は、東京女子医大に移られたんですか。

古川:心臓外科医になるか、癌の専門医になるか相当悩んだのですが、当時、膵臓がんの手術が世界一だったのが東京女子医大だったので、そこを志望して、大学病院でも膵臓を専門にやってました。

笠井:膵臓は沈黙の臓器と言われてまして、発見するのも難しい。なかなか困難な道を歩まれたわけですね。杉原クリニックとの出会いは?

古川:大学で外科をやって、その後都立病院で診療してましたが、2014年ぐらいから食事療法、今のケトン食の臨床研究を始めました。有名になると周りの目が逆に厳しくなり、都立病院で診療するのが難しくなったので、この辺で開業して、自分のやりたいことをしようかってことで、2020年頃にコロナの拡大とともに地域医療に入ったっていう感じです。

笠井:都立病院では食事療法は診療しづらいんですか?

古川:食事療法って自由診療に近いので点数つかないんですよ。どうしてもそのあたりが難しくて。

笠井:杉原クリニックはどんなクリニックでしょうか?

古川:元々地域医療をやってまして、健康診断から内視鏡、メインとしては消化器を中心にやってます。がん治療もやってたんですけど、なかなかうまくいかないんですよね。食事療法は回転が悪いので。結局は通常の医療とは切り離して、今は診療が終わった後にがん治療の食事指導をやっています。

笠井:ホームページを見ますと、最初に老人内科っていうのが出てきますが、どういう内科なんですか?

古川:総合的に見るんですよね。老人性の筋力の低下、腰の痛みとか、整体も入りますけども、老人特有の病気を薬とか、そういうもので治しています。

笠井:お年寄りが困ってることを一通り見てあげるっていう。老人内科は増えてるんですか?

古川:老人内科を出してるとこはあんまりないと思います。

笠井:それをやっていらっしゃるって、何か理由があるんですか?
古川:元々は外科をやりながら、実は15年間在宅診療のお手伝いをしてます。高齢者を見る機会がかなり多くて、そこで得た技術です。だから、内科といえど皮膚科も見ますし、脳梗塞の初期の対応もします。色々な科の初期対応が全部できるようになったので、老人内科という看板を出して診させてもらって、そこから専門に振り分けるんですよね。

笠井: なるほど。M&Aを行ってるっていうお話を聞いたんですけど。

古川:最初の杉原クリニックが医療継承で、いわゆるM&Aなんですよね。普通は親族の継承が多いんです。

笠井:つまり杉原クリニックを古川先生が引き継いだことで、その病院が続くことができたという。実は先日も建設会社の社長さんが継承者のいない小さな建設会社をM&Aし、会社が続くようにする、地域のためなんだっていうことをおっしゃってて。後継者不足問題がいろんな業界であるわけですね。

古川:医療は特に形態が変わると患者さんが困るので、なるべく診療科も変えずにバランスを保つというのが重要かなと思います。

笠井:まさに地域医療を支える中に、M&Aという形があるんですね。

古川:会社で引き継いじゃうと経営になっちゃうんで、要は診療科も変わっちゃうんですよね。その時々の流行りの科になりますけども、医者が継ぐので、その地域の医療の特徴を考えながら引き継いでいける。だから名前も変えないんです。

笠井:だから古川院長だけども、杉原クリニックという。普通だったら、私、笠井信輔のBUSINESS FRONTIERSって名前になって、すごい嬉しいわけですよ。でも、それをしないのは地域のため。クリニックを経営しながら、株式会社ドクターケンジラボという会社を設立されたそうですね。

古川:食事療法も結局クリニックではできないんですよね。

笠井:医療とは区別したところでやらなければいけないと。

古川:完全に切り離さざるを得なかったので、サプリメントとセミナーとか、そういう啓蒙活動は別会社でやろうと考え、今年の6月に法人設立をしました。サプリの販売なので物販がメインで、セミナーは渋谷とかで定期的にやっています。

笠井:どんなことを考えて病院経営されてらっしゃいますか?

古川:地域医療に根差したクリニックなんですけども、やっぱり人生100年時代ですからね。高齢者の健康不安を解消しながら、どういう風な生活をご提案できるかっていうのを考えながら診療をやっております。

笠井:仕事をしていて嬉しい瞬間はどんな時でしょうか?

古川:癌の治療をメインでやってましたので、早期がんを早く見つけて治った時と、ステージ4も一応食事療法をやってますから、そういう方が延命できて、自分のやりたいことをやって納得してお亡くなりになったり、あとはもう本当にステージ4の癌も治ることもありますから、そのサポートができた時は非常に嬉しいですよね。

笠井:私も早期に発見できて良かったんですけど、血液がんがステージ4までいってしまったので、4か月半も入院して、本当に厳しい治療でした。だから早期発見って大事なんですよね。早期の段階って痛みも症状も何もないので、元気なんですよね。

古川:そうなんですよ。だから一応ドクターも全部が診れないとなかなか早期発見は難しいんです。科を跨いで診れるというのが僕の一番の強みですかね。