9月22日(月)配信 株式会社SCREEN 代表取締役 平岩順一
日本大学卒業後、地元の愛知県の食品会社に就職。飲食店の店長なども経験するが、30歳の時に眼に病気が見つかり、退職。その後、個人事業として営業の仕事を行う。2019年1月に、株式会社SCREEN設立をし、現在に至る。
笠井:まずはこのSCREENのお仕事、どのようなお仕事でしょうか?
平岩:弊社は、システム開発業ということを中心にやっております。主に、IT業界での下請け業務がメインとなっております。
笠井:IT業界の下請けというのは、どういうことをやるのですか?
平岩:お客様からいただいた仕事ですので、お客様のチームの一員として、技術提供という形がメインになります。
笠井:お客様と一緒になり、チームとして働いていらっしゃるのですね。平岩社長の経験を拝見すると、山あり谷あり、かなり波乱に満ちてますよね。
平岩:そうですね。いろいろありました。
笠井:日本大学を卒業後、地元愛知県の飲食店チェーンに就職して、店長も経験されております。しかし、その後は個人事業主として営業の仕事をはじめ独立、2019年に今の株式会社SCREENを設立されています。この飲食店チェーン店を辞めたのはどうしてでしょうか?
平岩:私は、就職難という言葉が出たときに、大学を卒業し、縁があった飲食の会社に就職いたしました。ただ、30歳の時に眼の病気になりました。今も右眼が白くなっています。
笠井:右眼がよくお見えにならないのでしょうか?
平岩:全く見えないです。光も感じないです。
笠井:失明されてらっしゃるのですね。
平岩:そうなのです。30歳のときに発病して、お医者さんに診断してもらったところ、当時から右眼は見えなくなってきてたのですが、「左眼も見えなくなるかも」と診断されました。もう医学ではどうすることもない、どうなるか分からないということで、一気に落ち込んで引きこもりになり、会社を辞めました。
笠井:いわゆるどん底というやつですね。
平岩:もうどん底でした。
笠井:引きこもりの状況は、どれくらい続いたのですか?
平岩:1年半ぐらいですね。
笠井:支えはどこにあったのでしょうか?
平岩:家族ですね。当時彼女だった妻には、かなり支えてもらいました。また、両親とは一緒に住んでたため、すごく迷惑をかけたなと思ってます。
笠井:そうですか。そこから個人事業主としての営業は、起業したということですか?
平岩:起業です。1年半ぐらいたった頃、「ずっとこの状態だとダメだな」と感じ、どうせダメなら、一生懸命やってみようと思いました。
笠井:動いてみようということですね。
平岩:そうですね。「好きなことをやってみよう」と思い、お金があればいろいろなことができるので、就職活動をしました。しかし、病気だったこともあり、うまくいきませんでした。選択肢として、自分で営業の代理店の権利を買って、営業の個人事業主としてやっていくしかないと思い、独立しました。

笠井:どのような営業でしたか?
平岩:保険の営業など、そういう営業に近い形でした。もう何でもやりましたね。能力もないので、頑張るしかないと思って、取り組んでいました。
笠井:その後、IT業界での会社SCREENを立ち上げたということですが、きっかけは何だったのでしょうか?
平岩:私自身が営業でいろいろな人と関わる中で、自分で会社を立ち上げるという人に出会いました。その人がITの会社を立ち上げるとき、「平岩さんも一緒に立ち上げから参加しませんか」と声をかけてもらい、33歳ごろにITの世界に飛び込みました。
笠井:それでSCREENを立ち上げることになるのですね。
平岩:そうですね。後々、繋がってきました。
笠井:人とのつながりは、やはり大切ですね。株式会社SCREENの会社の理念を教えてください。
平岩:会社を立ち上げた時からずっと変わってないのですが、「自分らしく働ける会社に」ということを掲げています。
笠井:「ここで働くと人生が楽しくなる会社」を目指しているのでしょうか?
平岩:そうですね。みんなが羽ばたいていってくれるのであれば、すごく嬉しいです。そういう会社になりたいと思っています。
笠井:独自の社内研修をやってらっしゃるという話も聞きました。
平岩:私がずっと好きでやってるのですが、自己啓発のような研修を行っています。みんなが目の前のことを頑張りすぎて、先のことを考えていないと感じたため、自分のキャリアを考える研修にしています。
笠井:自分の人生の先を見据えることも大事ですよね。
平岩:研修では、10年後のキャリアの未来地図というものをやっています。自分がどのように進んでいきたいか、そういうのが見えることによって、今の動きや考え方も少しずつ変わっていくと思っています。
笠井:10年後の未来地図は、当然社長の平岩さんが見るわけですよね。
平岩:そうですね。正直に言うと、20代の子が考えるキャリアは、結構100%に近いほど間違っていると思っています。

笠井:経験値が少ないですから、しょうがないですよね。夢見がちなことばかり言ってるかもしれないですが、そういうのを見て、社長としてはどういうふう声かけしているのでしょうか?
平岩:まず、その子が一生懸命考えることが大事ですので、考えたり調べたり発表することは、尊重しています。経験を積むことで、どんどん自分の未来の考え方やなりたい姿は変わっていきます。そのため、1年ごとにキャリアの未来地図を書き、話を聞き、僕が感想を伝えています。
笠井:「それ間違ってるよ」というのは言わないのですね。
平岩:そうですね。やはりその子の人生ですので、その子が進みたいように進んでいくのが、僕はいいと考えています。
笠井:「一歩一歩成長していってもらえればいいな」と思っていらっしゃるのですね。右眼が失明して苦労した経験というのは、今の会社経営には生きていますか?
平岩:そうですね。会社経営に直接生きているかどうかは分からないですが、私自身も眼の病気で苦労はありましたが、成長できた部分はあったと思っています。会社経営に対しても、少なからずいい影響があるというふうに考えています。
笠井:そういった病気を抱えていなかったら、自分の人生はどうなっていたと思いますか?
平岩:最初に勤めていた飲食店は、辞めるきっかけがないので、30歳のときには辞めてないと思います。
笠井:病気については、どのように捉えていますか?
平岩:眼の病気は、今となっては笑える話で、エピソードトークとしても強い武器ができたので、ラッキーです。ただ、当時はもう何も考えられなかったですね。ただ、人生は大きく変わったとは思っています。
笠井:ターニングポイントですよね。そういう意味で言うと、障害を持っている方やトラブルを抱えている方には、どのような言葉をかけてあげたいですか?
平岩:当時と比べて今の姿は夢にも思わなかったので、人生は変えられるし、変えられるということを伝えたいです。その方の人生なので、「思い切ってやりたいことをやる」「自分の人生を生きる」ということがいいのではないかと思います。
笠井:株式会社SCREEN、これからどのような会社にしていきたいですか。
平岩:みんながやっぱりやりたいことは、それぞれあると思います。私も今やりたいことを、会社を通してやらせてもらっているのですが、理想として「一人1プロジェクト」を掲げています。大きなものではなく、小さいことから、一人ひとりがプロジェクトを持って、毎日、楽しく一生懸命やれる環境ができたらいいなと思っています。
笠井:ありがとうございました。困難を乗り越えて、これからも目標に向かって突き進んでください。
平岩:ありがとうございました。

