10月13日配信回
2025.10.13

10月13日(月)配信 株式会社ComRade 代表取締役 伊藤清治

略歴

1979年生まれ、兵庫県出身。島根大学に5年通うも中退し、同大学に再入学して4年で卒業。在学中に合資会社ComRadeを立ち上げた後、松江への恩返しの思いから市議選に挑戦、支持無しながら供託金ラインを突破し注目を集める。公約どおり「当選できなかったら東京に移住する」を実行に移し、上京後は国会議員秘書や友人の選挙支援などを経験。2013年に株式会社化をし、現在に至る。

眞鍋:先ほどスタジオに入ってこられたときに、「同世代ですね」という話で盛り上がりましたが、何年生まれでしょうか?

伊藤:1979年生まれです。

眞鍋:私は、1980年ですので、本当に同じ時代に青春を過ごしたという感じですね。同世代の方がビジネスをしていらっしゃると思うと、びっくりです。

伊藤:眞鍋さんは、大学のころから活躍されていましたよね。

眞鍋:活動はしていましたが、ビジネスはやっていないので、今日はたくさんお話を聞かせていただければと思っています。

伊藤:よろしくお願いします。

眞鍋:まずは、事業内容について教えてください。

伊藤:基本的に4種類の柱があるのですが、今、力を入れているのは、若者育成支援事業と輸入貿易事業です。輸入事業では、特にスリランカ産の紅茶「セイロンティー」を扱っています。

眞鍋:全く違うジャンルだと思いますが、若者育成支援は、具体的にどのようなことをするのでしょうか?

伊藤:私は、生まれは関西なのですが、大学が島根県だったため、もともと島根にいました。島根大学に在学中にサークルを作って、そこの後輩たちが「部室がない」と困っていたのです。私は、在学中に起業したので、卒業してオフィスを借りた時、余っている部屋を後輩たちに貸しました。学生たちが出入りするようになり、まちおこしイベントを請け負いはじめたのが、最初の若者支援事業です。

眞鍋:そうですか。在学中に起業されていたのですね。

伊藤:そうです。東京に来た今でも、なぜか若い方たちが集まってくるため、その子たちに仕事を割り振っています。あと、現在は、23歳の若い女性に、子会社の社長をお願いしようという計画もあります。

眞鍋:若い方たちは、どういう流れで集まってくるのですか?

伊藤:もともといた人から「オススメの仕事がある」と口コミが広がっているようです。

眞鍋:若い方も「ここにくれば何か見つかるかも」と来る方が多いのですね。これからの日本を作っていく世代の土台を固めるというのは、すごく大事なお仕事ですね。

伊藤:僕自身が学生起業家だった際、年上の方にすごくよくしてもらったので、次は返す番だなと思ってやっています。

眞鍋:在学中に起業したきっかけは何かあったのでしょうか?

伊藤:島根県は人口が減っており、産業を発展させ、雇用をつくる必要があるということで、県をあげて、起業を支援していました。起業家を育てるというイベントに行ったとき、公務員の人が近くに寄ってきて、「君、大学生だよね。君には才能があるから起業しなさい」と言われました。若かったので、ついその気になり、起業しました。

眞鍋:周りのサポートはあったのですか?

伊藤:かなりよくしていただきました。

眞鍋:やはりこのような経験から、今度は自分が行うとなっていったのですね。経歴を見ていて面白いなと思ったのが、政治の世界に飛び込まれていますが、どういうことでしょうか?

眞鍋:たまたま、「仕事は5年でやめなさい。」という本に出会いました。その本が、すごく面白かったので、著者でタリーズコーヒー創業者の​​松田公太さんの自伝を購入しました。この人の元で働きたいと思った私は、当時、参議院議員をされていた松田さんに会うべく、毎日参議院会館に通い、秘書になりました。

眞鍋:では、そこから松田さんの秘書として、働いていたのですか?

伊藤:それが、2週間しか続きませんでした。私はサラリーマン経験がなかったため、慣れないことが多く、お互いのために辞めといたほうがいいとなったのです。その後は、起業家の道に戻りました。

眞鍋:そうだったのですね。若者支援事業の他に、スリランカの事業もやっていらっしゃいますが、始めてからどのくらいになりますか?

伊藤:13年前に東京に来たのですが、最初に来た仕事が「スリランカの紅茶を扱わないか」という仕事でした。

眞鍋:それは、何かご縁があったのですか?

伊藤:東京に出てきたばかりの頃、仕事がなく塾のアルバイトをしていました。その時の同僚が、もともと居酒屋のチェーン店の店長をしており、そこで働いていたのが、スリランカからきた留学生でした。実は、その子はスリランカの名家の生まれだったのです。そして、その子の結婚パーティーに招待されたとき、知り合った方から「ぜひ日本と取引をしたい」というお話をいただき、当時から会社を経営していた私に白羽の矢が立ったということです。

眞鍋:それで、スリランカの紅茶を扱うようになったのですね。

伊藤:はい。そして、スリランカは親日国なのです。日本は、直民地支配で苦しんでたときに、日本だけが独立を保って、太平洋戦争前半は快進撃を続けたということで、スリランカの憧れの国だったのです。日本が敗戦した後も、一番最初に国交を回復してくれたのもスリランカですし、日本が独立する時に、世界の心を動かす演説をしてくれて、日本を守ってくれたのもスリランカです。この話は、スリランカでは、歴史の教科書に載っていたり、映画化されたりと、みんな知っています。

眞鍋:知らなかったです。

伊藤:日本人は、知らない方が多いですよね。私もスリランカの人と会うまで知らず、すごく恥ずかしい思いをしました。だからこそ、「絶対に伝えなきゃいけない」と思い、紅茶を売りながら「日本とスリランカの関係」を伝えています。

眞鍋:そうだったのですね。実は、お土産に紅茶をいただきました。STHUTHIYというブランドですが、どういう意味ですか?

伊藤:シンハラ語で「ありがとう」という意味です。先ほど、紅茶と一緒に、スリランカと日本の漫画を渡したと思いますが、どちらかというと、紅茶を売ってるのではなく、漫画を売ってるつもりでいます。

眞鍋:漫画がメインなのですね。

伊藤:ただ、漫画のみを高い値段で売れないので、アラブの王族が飲んでいるスリランカ産の貴重な紅茶を扱っています。

眞鍋:そんなすごい紅茶なのですか?

伊藤:アラブの王族も飲んでいますので、1杯6,000円ほどします。

眞鍋:思っていた以上の値段で、びっくりしました。この紅茶の背景を知ったからこそ、よりありがたさを実感しています。

伊藤:この紅茶も、わざわざ日本人が遠くから来てくれたという理由で、無理を言って流通できるようにしていただいたので、すごく貴重なものです。

眞鍋:そうなのですね。

伊藤:日本人が好きだからという理由で取引していただいていますが、日本人がスリランカとの関係を知らないのは、スリランカに対してすごく申し訳ないので、この話を広めるために、こうしてメディアへ出演しています。

眞鍋:私も、微力ながら広めさせていただきたいと思います。今後の展望を教えてください。

伊藤:そうですね。スリランカとできた縁はもう絶対一生切れないと思っています。もっと言うなら、スリランカは、月給3万円の国なので、僕たちがサンプル代といって10万円支払うと、すごく喜んでくれるのです。今は紅茶だけですが、スリランカは宝石も有名ですので、いずれは宝石も輸入して、スリランカと手広く商売していきたいです。そして、スリランカの人が、どんどん幸せになればいいなと思います。また、僕たちもスリランカのことをよく知ってもらえるように頑張っていきます。

眞鍋:素晴らしいですね。ぜひ、これからもスリランカとのご縁を深めていってほしいなと思います。

伊藤:頑張りたいと思います。