4月1日配信回
2024.04.01

4月1日(月)配信 笠井信輔

皆さんこんにちは、フリーアナウンサーの笠井信輔です。今回からスタートの新番組、ビジネスフロンティアズ。今回はその第一回にあたりますが、はじめに自己紹介を兼ねて私がどのような経歴を持ち、どのような人生を歩んできたのかを簡単にご紹介していきたいと思います。

私は東京都出身で、すでに還暦を迎えています。子供の頃からおしゃべり好きで、高校の卒業アルバムでは、「私のことを忘れそうになったらテレビを見てくれ、出ているから」といった内容を書いた記憶があります。のちに早稲田大学商学部に入学し、放送研究会に所属。卒業後は希望通りフジテレビのアナウンサーになることができました。それからは「おはよう!ナイスデイ」「TIME:3」「めざましテレビ」「とくダネ!」などに出演し、アナウンサーとして恵まれた人生を送ってきました。順風満帆と言われることも多々ありますが、一方で大きな壁にぶつかってきた裏側もあるのです。

まず、入社早々にトラブルを起こしました。私はスポーツ報道志望の枠で入社試験を受け、競馬アナウンサーとして採用されました。わずか1週間後に生放送の番組で新人アナウンサーとして紹介され、夢を語ってほしいと言われたのです。リハーサルもなく、率直に「ワイドショーの司会者になって、ニュースキャスターになる」と発言したところ、アナウンス部で大問題になってしまいました。部長に問い詰められた私は「ごめんなさい、本当はワイドショーが大好きなんです」と打ち明けたところ、とてつもなく怒られました。スポーツアナウンサーの先輩たちからも「スポーツを馬鹿にしている」との批判もあり、研修拒否されてしまいました。異例ではありますが、最終的に研修なしでデビューすることになったのです。

もう1つ印象深いトラブルがあります。週1回放送の情報番組の司会を務めていた時のお話です。リポーターとしての力を認められ、私はその番組のメインキャスターに抜擢されました。しかし、番組自体は視聴率が振るわず、降板をもちかけられクビになると思っていたんです。するとスタッフからは、私が必要なのでリポーターに戻ってほしいと言われたのですが、私は拒否しました。私がリポーターに戻っても番組そのものが変わるわけではないからです。この件で番組のトップと揉めて叱責を受けたのですが、私はどうしても首を縦に振ることはできませんでした。そして、最終的に全ての情報番組から降板させられたのです。それから月日が経ち、「スーパータイム」のリポーターを任されることになり、現場が好きな私は意欲的に取り組みました。さらにしばらくした後、新しい報道番組のメインキャスター就任の打診もありました。私はこの時、全ての仕事に信念をもって取り組めば道は切り開けるものだと学びました。

これからは私の仕事との向き合い方を3つのキーワードでお伝えします。

一つ目はモチベーション。仕事をしているときは苦しくても幸せだと思います。私はステージ4のガンを発症し、4カ月の入院を経て仕事復帰までには8カ月ほどかかりました。命の危険も感じましたし、テレビ復帰も難しいかと思ったのですが、何より仕事ができないことがとても辛かったです。入院によって仕事ができない期間、私を救ってくれたのがインターネットでした。毎日病状を発信し、それが生きる力になっていたのです。もし、世の中の情報を発信できず受信するだけの4カ月半だとしたら心が折れていただろうと思います。

二つ目は信念。私が特に大切しているのは「引き算の縁、足し算の縁」という言葉です。この言葉は東日本大震災の現場入りをきっかけに湧きあがりました。現地の皆さんにインタビューすると、失ってしまった方々を引き算のように数え、悲しみに暮れていました。しかし、1カ月、3カ月と経つと、病院に勤めている医者の先生や看護師、避難所での新しい友達、ボランティアの人たちというように人々の間で縁が広がっていったのです。「笠井さんにも会えましたね」という声もあり、人は最悪の状況で出会った人を自分の力にして前に進むことができるのだと学びました。ガンで入院した際、私は全てを失ったと思い、引き算の思考でした。そんな時に南三陸の皆さんがお見舞いに来てくださったのです。色紙に書かれた「今度は私たちがエールを送る番です」というメッセージを目にしたときは涙しました。震災によりマイナス思考だった皆さんが、プラスの縁となって私の応援にかけつけてくれる。マイナス思考からプラス思考に、引き算の縁から足し算の縁に変えていくことが大事だと思いました。

三つ目は未来へのビジョン。ガンの入院でインターネットに救われた私ですが、当時入院していた病院はWi-Fiが使えませんでした。そのため私は自前で用意したのですが、調べてみると入院患者にWi-Fiを開放している病院は少ないことが分かったのです。そこで退院後に仲間と一緒に病室Wi-Fi協議会という団体を結成し、「多くの病院の病室に無料Wi-Fiを」という考えのもと活動しています。私が入院した時期はコロナ禍だったので、面会禁止により大変な孤独を経験しました。しかし大多数の人はこの点に気付かない。なぜなら通常はどこへ行っても公衆Wi-Fiが通じるからです。まさにコロナ禍によって浮かび上がった課題です。「誰一人取り残されない世界の実現」はSDGsの考えにも通じています。自分が経験したことを仕事だけではなく、未来に活かすという意味でSDGs活動が企業の中心的な活動になっているのは私もよく理解できます。

今回は私の仕事についてお届けしました。今後はゲストの皆さんのお話を聞きながら私の考えや経験をぶつけていきたいと思います。リスナーの皆さんからもビジネスについての質問や感想をお待ちしております。