6月10日(月)配信 医療法人孝友会槇眼科医院 院長 槇千里
川崎医科大学を卒業後、お茶の水井上眼科病院、埼玉医療センター眼科、西葛西井上眼科病院での勤務を経て、明治 37 年に初代院長の「槇 清太郎」が開業した医療法人孝友会の理事長を 2015年に継承。地域に根ざした眼科医療を提供している。
笠井:相当苦労されて眼科医を継いだという話をお聞きしたんですけれども、120年の歴史で受け継いできたものってどんなものがあるんですか?
槇:もちろん地域に根付いた皆様の目の健康を考えながらやっていくのは当たり前のことではありますが、私の代になってやり始めたのは、新しい風、新しい医療を取り入れていく。はっきりとしたビジョンはないんですが、とにかく継続していくっていう。そこが創造性に繋がっていくのかなと思っております。
笠井:病院経営のコツ、ベースとなってるのはどんなところですか?
槇:経営をしていると、例えば、できる・できないとか、この人は適さないとか、そういうことで切られるスタッフがいるかもしれません。で、私は父からありがたい言葉を学んだんです、「誰1人欠けてはいけないだろう」って。そこが若い頃はピンと来なかった。でも、年を重ねて自分が統括していく立場になると、やっぱり1人欠けてもよろしくないんですよね。
笠井:マイナス人材であっても簡単に切ることはしないってこと?
槇:そこをマイナスとは思わない。逆に居てくれと言っちゃうんです。幼少期、眼科によく遊びに行ってた時に、お姉ちゃんって呼んでた人たちが、私の今の部下なんです。そのくらいの歴史がある。定年を迎えて再雇用の方も10人近くいますし、きつい人は非常勤って形をとってでも働いてくれてます。患者さん自身も、うちのスタッフも、一緒に歳を重ねていってるので、馴染みがあるわけです。あなた(ベテランスタッフ)がいるからねっていう安心感があるわけですよ、私よりも。
笠井:最新医療をたくさん提供しているけども、働いてる方にはベテランの方が何人もいらっしゃるって、面白い構図です。ベテランを大切にするって大事ですか?
槇:大事です。70歳ぐらいの婦長によく言います、患者さんを見ろって。婦長と同じ年代の患者さんがいらっしゃるけれど、あなたはその誰よりも動いてるよって。あなたも同じように持病を持っててもおかしくない。だけど、あなたはよく頑張ってるじゃないって。そうすると、ニコと笑ってくれるんですね。私には下の層の方を真ん中くらいまで引き上げる能力があるかもしれないです。そうすることで、ある現象が起こる。上の人間たちは、もっと頑張ろうとする。こういう、心理的な要素にもアプローチしながら、雇用していく。間接的には言わないで、直接本人へ言います。人を褒めたり、話を聞いてあげたり、時には叱ったり、、。そういうところが得意なのかもしれない。
笠井:負の人材といったものを使い続けることによって、どういう利点があるんですか?
槇:負の人材ではないんです、私にとっては。大事な人材と思いながら、みんなのモチベーションを上げるために、適材適所の配置を大事にしています。
笠井:後半、3つのキーワードで委員長先生とお仕事の向き合い方を伺います。まず第一のキーワードはモチベーション。院長の仕事のモチベーションは?
槇:一つは、地域の患者様に「眼科に行ってよかったな」って言われたいので、健康な生活を維持していただくために、新しい医療を地域の皆様に届けていく。
笠井:新しいことをやろうとすると設備投資にお金がかかるじゃありませんか。その判断はどうされてるんですか?
槇:大幅にゴロっと機械を変えるわけではないです。コストもきちんと考えながら、ここまでの線引きだったらちょっとプラスになるかなって。計算の仕方は上手い方かもしれないですね。良く業者さんから先生はマーケティングにも向いていると言われます。
笠井:そして第二のキーワードは信念。院長の仕事の信念は?
槇:私の信念、情熱を持って「心志」という言葉をすごく大事にしています。心志とは、心丸く、志強く、そして継続をしていく。その先に希望や夢が出てきて、何か創造性という形になっていく。槇眼科の取り組みとしては、9月10月辺りには次の年の目標を決めてるんですね。大きくガラリと変えるわけじゃないです。ちょっと新しいことをやってみようじゃないか、今の人たちができる範囲でって。
笠井:そうでないと長く働くことはしませんものね。
槇:ありがたいです、ほんとに。
笠井:そして、第三のキーワード、未来へのビジョン。あまり大きな夢はありませんとおっしゃっていますけれども、将来的にはこうしていきたいって思いがあるんじゃありませんか?
槇:今四代目で、私、子供がいないんです。なぜかというと、毎週毎週この仕事をしてますと航空被爆があるんです。
笠井:そっか、毎週飛行機に乗って東京福岡間を移動しているから、x線を通ることで航空被爆に。
槇:そうです。これを決断したので、子供については諦めたんです。なので、六代目までのビジョンは考えてます。六代目ぐらいまでは念頭に置いておかないと、先々どうなるかわかりませんので。夜中の12時ぐらいまで手術をされていた、45〜55歳くらいの一番働き盛りの先生方がバタバタと倒れていく姿を見て、ちょっと考えさせられることがありまして。父もガンの再発のことを黙っていたので、喪服の上から白衣を着ながら診療してた日々を思い出します。ちょっと涙を拭く時間をくれと言って、10分ぐらい休憩させてくれって言った日もあります。でも、そういうこともあった中で、脈々と継がれてきた槇眼科の先代たちの想いを念頭に置きながら仕事をしています。
笠井:やはりこの120年の歴史の中で、この槇眼科をどうしていくかってことも色々お考えなんだなということ、よくわかりました。
槇:成功に導かれるかどうかは私次第なんですがね(笑)。