10月7日(月)配信 合同会社プライムマネージメント 投資家 三井はじめ
1975年生まれ。九州大学大学院卒業後、精密機器メーカーに就職し、10年以上勤務。2008年頃から副業として投資を始め、2020年に専業として合同会社プライムマネージメントを設立。FXや株式などの投資を行う。同社でコミュニティを作り、生徒に金融教育を行なっている。
笠井:合同会社ってどういう組織のことですか?
三井:昔、有限会社ってあったじゃないですか。有限会社がなくなって、合同会社になったみたいな感じなんですね。なぜ僕は合同会社にしたかっていうと、もう単純に設立の費用が安かったから。簡単に作れちゃうんです。
笠井:プライムマネージメントという会社、仕事内容はどのようなものになりますか?
三井:僕自身が投資家っていうところもあって、投資をやりつつ、生徒さんに投資を教えてます。
笠井:経歴を拝見しますと、九州大学院卒業となっていますが、経済学部とかですか?
三井:工学部の応用科学科、化学ですね。元々理系だったんで、金融とか全く関係ないです。就職して精密機械メーカーで設計とかをやっていました。
笠井:まさに大学で学んだことを活かして仕事をされていた。メーカーには何年ぐらいお勤めだったんですか?
三井:10年以上いました。
笠井:もうかなり技術も身につけて、管理職にもなる感じじゃないですか。技術者として安泰になって来そうな感じもするんですよ。それがなぜ?
三井:40歳になったタイミングで辞めたんですよね。何故かっていうと、30歳の時に「40歳になったら僕は1億円を持ってる」と勝手にイメージを持ってたんですよ。
笠井:失礼ですが、メーカーの設計士で1億円っていうのは、ちょっと絵に描いた餅のような気が。
三井:そうなんです。当時色々考えて、実際自分が40歳になった時に、このままここにいても絶対1億円無理だよねって思ったら、何か変わらないとダメだよなって。で、その時にはもう投資はやっていたんですよ。40歳の時には、もうそれなりにパフォーマンスがある程度出てたので、このまま会社にいても仕方ないしなと思って、勢いでもう辞めちゃえと。
笠井:やっていたのはどういう投資だったんですか?
三井:株式をやってました。8年か9年前ですね。
笠井:その時の株式市場ってどういう状況だったんですか。
三井:かなり下ですよね。ほんとにリーマンショックの後なんで、日経平均が1万円台とか。
笠井:そんなに荒く稼げるような市場でもなかったんじゃないですか。その中で。ある一定の成果を上げていた。それは独学?
三井:僕は独学ですね。独学と言いつつ、いろんな人に習ったりとか一応したんですけれども、結局転々として、時間ばかりがずっと経っていたという。でも、やっぱりある時に安定してきて。
笠井:辞める辞めないの境目。私、フリーの先輩に「フリーになるんだったら、自分の基本給とアルバイト料が逆転する時が、フリーになる一つの指標である」と言われたことがあるんです。自分はそこまではいかなかったけども、かなりアルバイトが増えてきて、そういうのがあって僕はフリーになる決断をしたんですけども、三井さんの場合は、投資がどれぐらいまで来た時にこれはいけると思ったんですか?
三井:業界が業界なんで、いつ何があるかわかんないんですね。なので、この業界は基本的に3倍ぐらいは持っとかないと怖いよねっていう話はよくしてました。
笠井:やっぱりそこまで実力が伴わないと、食べていくのは大変。大変ってことは、設計士としてのお給料より、かなり副業の収入が増えたってこと。辞める時になんで辞めるのって言われませんでした?
三井:言われるってわかってたんで、勝手にやめました。妻とかに言ったらもう大変でしたよ。やはり反対するんですよ。結構大きな会社だったんで。
笠井:じゃあなおさらです。寄らば大樹、日本人の往年の考え方はそうです。いくらその時儲けていても、今後どうなるかわかんないじゃないですか、浮き沈みが激しい世界ですから。でもそこを説得した?
三井:説得したというか、もう結局お金渡すしかないじゃないですか。結局そこは現金なもんで、ちゃんと渡していったら信用してくれたっていう感じですね。
笠井:私なんて、ちゃんと稼ぐからって言ってフリーになったら、2ヶ月で癌になりました。妻はこういうはずじゃなかったって思ったみたいですよね。
三井:実際僕も本業1本になった瞬間、プレッシャーが半端ないんですよ。もし今月稼げなかったらどうしようって。もうそれを考えるとサラリーマンってすごい良いよねってめちゃくちゃ思いました。
笠井:癌で半年ぐらい入院しても、基本給の6割から7割はもらえるんですよ。日本の皆保険を辞めていたので、何の保証もなかった。独立ってそういうことですよね。投資をする入り口はどこだったんですか?
三井:僕は基本的に自由が好きなんです。好きな時に好きなことを好きなだけやりたい。そもそも、いい大学入っていい会社に入ればめちゃくちゃお金稼げるみたいな妄想が頭の中にあって、もう40歳、50歳なったら自由に暮らせると、そういうちょっとお花畑みたいな頭してたんです。でも実際入ってみたら全然違うし、変な人がいっぱいいますし、こんなしんどい思いしてこれだけって、なにかおかしいよねと思い始めて。で、たまたま僕が株を始めた当時、ホリエモンさんがやってるITバブルの時だったんですね。右肩上がりになっていくじゃないですか。株ってすごいと。そこに可能性を見出しました。
笠井:株式が低迷していても、ITバブルを捉えたわけですね。
三井:ITバブルに乗っていったんですけど、ただ、あれでドンと落ちました。
笠井:バブルと言われたら。弾けるんですよね。仕事をする上で大切にしてることはどんなことでしょう?
三井:謙虚であることかなと思っていて。こういう世界って大きなお金が動くじゃないですか。お金は稼げるのですが、稼げたからすごいんじゃないんですね。僕らはいつでも相場というものに常に感謝しないといけないと思っていて。当然人に対してもそうなんですね、「俺すごいよね」と言った瞬間に、負けちゃうんですよ。僕この業界長いんですけども、一時的にお金をバーンと稼いで、クラブとかでガーって豪遊してる人いるんですけど、そういう人たちって1年後は残ってないんですよね。最近なんでかわかったんですよ。1番いい例えが、宝くじに当たった人って大体1年後とか破産してるってよく言いませんか?
笠井:不幸になる人が多いと聞きますね。全部が全部そうではないですが。
三井:なんでかって考えたんですけど、自分の持ってるお金の器って多分決まってるんですよ。人生の中でずっとやってきたことの結果、自分のお金の器が決まってて、それ以上のものが入ってきたら溢れちゃうんですよ。
笠井:キャパシティってのがあるわけですね。
三井:結局僕はそのキャパシティを増やすために、常に謙虚とか前向きとか勤勉とか、そういうことを常に言って、まず自分の精神、マインドを鍛えつつ、投資の手法的なこともやってたという。そこが上手いことカチッとハマると、多分稼げるんだと思います。
笠井:最後になりますけれども、未来へのビジョン、どんなことを今考えてますか?
三井:僕が持ってる知識とか経験とか、そういうことを人に伝えることによって、周りの人が幸せになってくれたらいいのかなっていうのは思いますね。