4月8日配信回
2024.04.08

4月8日(月)配信 キャスター・ジャーナリスト / 国連UNHCR協会理事 長野智子

略歴

上智大学卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。1995年に渡米し、ニューヨーク大学・大学院にて修士を取得。「朝まで生テレビ!」「スクープ21」「報道ステーション」「サンデーステーション」のキャスターなどを経て、現在は国連UNHCR協会理事を務める。2024年4月開始の「長野智子アップデート」でパーソナリティ就任。

笠井:長野さんはいつからアナウンサー志望だったんですか?

長野:実は私、アナウンサー志望だったことが一度もないんですよ。

笠井:でも、大学時代に「ミスDJリクエストパレード」に出演していましたよね?

長野:それはアナウンサーを目指していたからではなく、知り合いの方からたまたまオーディション参加を勧められたんです。アルバイト代が破格に良かったこともあり、受けることにしました。

笠井:大学卒業後はフジテレビのアナウンサーとなりましたが、この時も何局か応募したんですか?

長野:いえいえ。ある日、ミスDJを担当していたディレクターさんにたまたま遭遇して、進路を聞かれたんですよ。英語教師を目指していることを伝えると、アナウンサーに向いていると思ったのにもったいない、と言われました。そのディレクターさんはかなり厳しい方だったんですよ。それくらい厳しい人からアナウンサーに向いているって言われたので、面接を受けてみようと思ったんです。それで調べてみるとフジテレビだけ応募を受け付けていた。だからフジテレビ1局だけですね。

笠井:その後フジテレビで活躍されて、結婚した時に辞めたじゃないですか。当時なぜ辞めたんですか?

長野:この働き方をしていたら結婚生活を送っていけないと思ったので、まずは辞めて、仕事と結婚のバランスを取っていければいいなと考えましたね。

笠井:フリーアナウンサーになることはその時から考えていたんですか?

長野:もう考えていました。

笠井:でもしばらくしてご主人がアメリカ赴任することになって一緒に渡米した。その上でニューヨークの大学に進学したのは意外でした。

長野:私、ニュースをやりたかったんです。でも、努力しないままフリーアナウンサーになってからもバラエティー番組を担当していました。タレントさんたちは人生をかけて臨んでいて、私もその土俵に立っている。でも同時に、これは本当に私がやりたいことじゃないと逃げている自分に気づいたんです。そんな自分に嫌気がさして、他の人たちのように命をかけられることをしようと決めました。それからバラエティーの仕事を全部やめて、ニュースをやるためにアメリカに行ったんです。大学院卒業後は「めざましテレビ」の「OH!MYニューヨーク」のコーナーで中継をしていて、その時にテレビ朝日さんから「ザ・スクープ」の話をいただきました。

笠井:ご主人と一緒に帰国したんですか?

長野:いえ、ずっとニュースに関わりたいという夢が叶ったので、一人で日本に帰りました。

笠井:ご主人の対応はどうでした?

長野:よかったねって感じでした。

笠井:背中を押してくれたんですね。バラエティーから報道まで携わるハードなキャスターへの転身はめずらしい。成功した要因は何だったと思いますか?

長野:本当にやりたかったからだと思います。私はキャリアの一つとして経験したいのではなく、本気でニュースをやりたかったんです。報道の現場ってかなり過酷で大変じゃないですか。そんな中でも私は幸せだったんですよ。だから続けられたんだと思います。

笠井:現在、国連UNHCR協会でも活躍していらっしゃる。どういうお仕事なんですか?

長野:広報担当理事として、日本の方々に難民問題について関心を持っていただいたり、支援していただいたりお願いする役割ですね。あとはイベントを開催したり。

笠井:全世界の難民キャンプに行ったりもしてますよね。

長野:そうですね。現地で色々な方の話をVTRに収めて、SNSで発信することもあります。

笠井:すごいですね。現場の人なんですね。

長野:現場が好きなんですよ。

笠井:ここからは3つのキーワードで番組を進めていきます。一つ目のキーワードはモチベーション。長野さんの仕事のモチベーションはどんなところにありますか?

長野:これは好奇心だと思います。私もともと出不精なんですよ。

笠井:こんなに世界を飛び回っているのに?

長野:この出不精の私が自分から外に出て行くってことは、見たいし知りたいし聞きたい。自分がやりたいからなんですよね。

笠井:では二つ目のキーワードにいきます。次は、信念。長野さんの仕事の信念はどんなことでしょうか?

長野:ある日の番組終了後に、ジャーナリストの田原総一朗さんがお疲れ様会を開催してくださった時があったんですよ。その際、田原さんにこれからどうするの?と聞かれて、ジャーナリストになるとしたら信念がないとダメだよって言われたことがあるんです。テレビの仕事をやめた時に初めて自分の信念について考えてみて、最初に思い浮かんだのが女性の国会議員を増やしたいということでした。ニュースを伝えてきた側として、少子化対策をはじめとする日本の諸問題に通底しているのではないかと思ったからです。

笠井:そうなんですね。私、自分のことをジャーナリストと名乗る自信がないんですよ。

長野:私もそう。

笠井:もしかしたら、私はまだ信念というものを自分の言葉で語れてないのかもと思ったりしました。そして最後、三つ目のキーワードは未来へのビジョン。何か今後チャレンジしたいことはありますか?

長野:私、還暦になった時にすごく楽になったんですよ。若い人にバトンを渡したっていう意味で。これからは高齢者の最年少として自分の好きなことを楽しくやろうって感じです。

笠井:私そこに辿り着けてない。バトンを渡すものかっていう自分がいます。

長野:そんな笠井君が好き。

笠井:高齢者の最年少として生きていくという考え方、ちょっと刺さりました。長野さんのこれからの活躍と、「長野智子アップデート」楽しみにしております。

長野:笠井君もぜひ来てください。よろしくお願いします。