1月13日(月)配信 株式会社MS1880(シュタイフ日本総代理店) 代表取締役社長 西本学

1963年生まれ。獨協大学在学中に学習塾を創業し成功を収める。学生時代の語学留学経験から海外就労を志し、1991年にLVMHグループに入社。フランス、アメリカ、ニュージーランドなど海外でのマネージャー職を経て、1998年にルイヴィトン・ジャパンへ異動のため帰国。その後、シャネル、ジョルジオ アルマーニなどハイブランドでゼネラルマネージャーを務め、2010年にリヤドロ・ジャパンの社長に就任。2013年には株式会社MS1880(シュタイフ日本総代理店)を設立し、現在に至る。
笠井:会社名に数字が入ってますけども、1880年ってことになりますか?
西本:シュタイフはドイツで1880年に創業しまして、ぬいぐるみの会社としては世界最初の会社になります。テディベアを世界で最初に作ったのも実はドイツのシュタイフです。ベビー、子供服も取り扱いをしておりますのと、あとはもちろん、そのテディベアだけではなく、ユニコーンであったり、ドラゴンだったり、実在しない動物も含めて、SKUでいうと2500以上あります。
笠井:ホームページを拝見しましたら色とりどりな楽しいかわいいぬいぐるみたちがたくさん載っておりました。西本さんは獨協大学在学中に学習塾を開業されて、学生時代に6拠点、生徒数500名ということで、大変な成功を収められましたね。

西本:私の家は少し不思議な家と言いますか、アルバイト禁止の家だったものですから、でも学習塾だったら、人に勉強教えるのだったらやってもいいよということで、一度それでアルバイトをしていましたら、家でもできるのではないかなということを考えて。家の駐車場を借りて、そこで教室を始めたら、あっという間に生徒数、教室が増えていきました。
笠井:学生起業家ということですよね。ですが、ここからの経歴はその学習塾の話ではなく、海外で働くことを目指したという。ここはどうしてですか?
西本:学生時代から海外の短期留学に行くことがあって、海外で仕事をしたいっていう希望は昔からありました。
笠井:その結果、最初に就職されたのはどこでしたか?
西本:モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトングループです。私は最初パリ勤務からスタートしまして、パリからロサンゼルス、グアム、ニュージーランド、サイパン、5カ国を8年から9年間かけて移動しました。
笠井:日本に帰っていらっしゃったのはいつですか?
西本:双子の娘がちょうど生まれたタイミングと、1997年にマークジェイコブスがルイ・ヴィトンに加入をして、ルイ・ヴィトンがカバンからトータルブランドに変わる瞬間があったんですよ。それで、ルイ・ヴィトンジャパンに異動という形で日本に戻って参りました。
笠井:経歴を発見すると、その後シャネルジャパン、ジョルジオ アルマーニジャパン、こちらのゼネラルマネージャーを歴任されていますが、このような転職はどういう風にするんですか?
西本:私がいたルイ・ヴィトンも非常に大きな組織ですので、当時は本当に辞めることがあり得るの、と周りからやはり言われまして。でも当時から私はジョブ型というのを考えていて、自分ができることと、あとはそこで達成できること、達成感を求めて、会社を辞めようっていう気持ちを持って動いたんですけど。
笠井:それでいわゆるヘッドハンティングでシャネルへ。そのあとまたシャネルに勤めていたら、知らない方からじろじろ周りに行きませんか、という声が。ということは、西本さんは外の人が見てわかる結果を出したということですね。
西本:そこはありがたいことに時代的なフェーズもあると思います。先ほどルイ・ヴィトンが洋服も始めてトータルブランドになったのと一緒に、シャネルもレストランを併設して、化粧品も全て同じ一つの建物にしようっていう動きがありました。
笠井:銀座に出来ましたよね?
西本:そうです。最初の責任者は私です。そのジェネラルマネージャーを兼任してましたので。

笠井:すごい!あのビルは超話題になりましたし、今でも燦然と輝いていますからね。その後ジョルジオ アルマーニも歴任され、今度はリヤドロ・ジャパン。ここからは社長なんですよ。就職してから社長になったんですか?
西本:当時、そのリヤドロ・ジャパンになった時に、日本人の社長を探していて、声がかかりました。
笠井:リヤドロジャパンっていうのはスペインの陶磁器メーカーという全然違うジャンルですよね。ここはどうしてですか?
西本:あえて変えてみたかったんです。表現はあまり好きではないですけど、スーパーブランドと一般的に言われてるところは、やはり動くことが多く、方向性もしっかり決まっていたり。そうではなくて、ここから自分で色々できることと、もう1つはやはり会社の代表として動いてみたいという希望でチャレンジしました。
笠井:実際、社長業はいかがでした?
西本:かなり大変でした。しかも、次の年に東日本大震災が起きるんですけど、壊れ物に対する皆さんの恐怖心と言いますか、これを払拭するまでに大変な思いをしました。
笠井:そこから3年後にご自分の会社を設立されたということですね。ここの経緯を教えてください。
西本:実は、そのリヤドロ・ジャパンの中に、シュタイフは事業部として入っておりました。それで、まさにその東日本大震災が起きて、ここで思い切ってシュタイフでテディベアを中心としたものにしたら面白い結果が出るかなと思って力を注いだら、全店の売上が3倍になりまして。それで実はドイツの本社の方で西本に任せてみたいという話が出て、会社を設立しました。
笠井:責任者になってくれと。西本さんの、求められて仕事を変えていくというスタイルは、言ってみれば人々のある種の理想系ではあるんですけれども、西本さんの仕事のこだわりはどんなところにあるんですか?
西本:私は、経営者は必ず決断をすること、責任を取ること、まずこれは絶対に徹底する。自分のポリシーとして。海外で仕事をする時は、名称がボスなんですね。私はボスっていう名称がすごく嫌いで。なので、私はボスではなくリーダーでありたい。これを自分のポリシーとしています。
笠井:老舗のお店ばかり渡り歩いている中で、何か考えてやってきたことってあるんじゃありませんか?
西本:もしかしたら全ブランドにある程度当てはまるかもしれないですけど、伝統と革新の融合っていうのは、化学反応と言いますか、それがなければやはり伝統だけでは続けていけないというのもあります。シュタイフは特に145周年を迎えて、テディベア一つが可愛いだけでは続いてこなかっただろうということを自分で想像しながら、日本マーケットで今挑戦しています。
笠井:シュタイフの日本総代理店で新たに挑んだことはどんなことがあったんですか?
西本:一つはコラボレーションですね。要するに、シュタイフを知らない人たちにどう知ってもらおうか。そういう時にコラボレーションはとても大切です。一つ目をつけたのはくまモン。爆発的なヒットになり、最近では鬼滅の刃もコラボレーションしていて。でも私はアニメーションをやりすぎると、キャラクターとしての会社になってしまうと心配したんですけども、亡き安倍首相がリオオリンピックの閉会式の時にマリオに変わった瞬間があったんですね。私、あれ見た時に、日本の誇るべき文化なんだっていうのを改めて感じて、アニメーションとのコラボレーションは日本しか発信できない面白いものかもしれないっていうことで、今は定期的にやっています。
笠井:最後に、今考えてらっしゃるこれからのビジョン、どんなものがおありでしょうか?
西本:ビジネスとは少し離れるんですけども、テディベアがなぜ癒しを与えるかっていうのは非常に興味があって。ドーパミンですとかセラトニンですとか、そういった幸せホルモンが何故か出るっていう話もあって。そういった部分も自分で分かると楽しいかなと思ってます。
