5月12日(月)配信 上石神井耳鼻咽喉科 院長 小田切恵三郎

住友重機械工業にて、電子線や陽子線の加速器事業に従事。医療分野への応用として医療器具の電子線滅菌などの事業の立ち上げ部署に配属。妻からの助言を機に医者を志し、浜松医科大学に入学。卒業後、心臓血管外科、呼吸器外科、消化器外科、乳腺外科、小児外科、救急部を併せ持つ、浜松医科大学大学病院の第一外科に入局。その後、耳鼻咽喉科に転科。2006年、上石神井耳鼻咽喉科を開業し、現在に至る。
笠井:上石神井の駅の目の前にある耳鼻咽喉科ということですが、どんな雰囲気のところでしょうか?
小田切:基本的には住宅街にありまして、点滴スペースなどを持たない、小さなクリニックですね。
笠井:先生の経歴を拝見して大変驚いたのですが、大阪大学基礎工学部をご卒業後、住友重機械工業にご入社されたのですね。お医者様ですよね?機械工業からのスタートだったのですね。何を勉強されていたのですか?
小田切:自然科学、特に研究室では分子科学などをやっていましたので、量子力学のような分野を勉強していました。
笠井:住友重機械工業ではどんなお仕事をされていたのですか?
小田切:量子力学のような分野を利用して、加速器という放射線を出す機械を扱っていました。
笠井:ということは、医療機器の分野にも関わっていらっしゃったのですか?
小田切:放射線を出せるものの、それが世の中でどう役に立つかわかっていなかったので、何に応用できるかを探していました。そのなかの一つとして、医療機器の滅菌ができるのではないかということで、医療機器の滅菌を始めた時期ですね。
笠井:メーカーで医療機器の研究をするうちに、お医者さんになりたいと思われたのですか?
小田切:いや、全然そうでもないんですよ。
笠井:では、なぜ住友重機械工業からお医者さんになられたのですか?
小田切:妻から「あなたは会社員に向いてないから、医者になれ」と言われ、決断しましたね。
笠井:奥様がそうおっしゃったのですね。奥様の言葉に従うというのは、どういう気持ちからだったのですか?
小田切:僕の基本的なスタンスは「男は女のためにある」。そして「女とは妻のことだ」。そう思って生きてきたので、それがまず理由の一つですね。住友重機械もとても良い会社で、最先端の面白いことをやっていましたが、最終的には企業なので営利目的になりますよね。私は世のため人のためという気持ちが強いので、人間関係に弱いことも含めて、そこで傷ついてしまうのではないかと、妻は、思ったのではないでしょうかね。
笠井:そこで浜松医科大学に入学され、改めて勉強されたのですね。めちゃくちゃ勉強しましたよね?
小田切:そうなんですよ。もともと会社で数学のような分野を扱っていたので、それは良かったのですけどね。
笠井:そして、心臓血管外科医としてまず働かれたわけですが、病院はどちらですか?
小田切:浜松医科大学の大学病院です。心臓血管外科というより、肺の外科、救急に関心があったのですが、そこの第一外科という医局の当時の教授が心臓血管外科だったことから、心臓血管外科のトレーニングもさせていただきました。
笠井:救急救命医療に携わっていらっしゃったんですよね。でも、まだ耳鼻科ではありません。耳鼻科への転向も、やはり奥様の一言ですか?
小田切:やっぱりそうなんですよ。

笠井:「あなたは耳鼻科に向いている」と言われたのですか?
小田切:そういうわけではなく、外科だと病院にいることが多いじゃないですか。だから妻との時間がまったくなくなるわけですよ。妻の心がだんだん疲れて、傾いていくのを感じて「いつか開業しないといけないんじゃないか」と考えるようになりました。それで、開業しやすい科として耳鼻科に進みました。
笠井:耳鼻科に転向されてみていかがですか?
小田切:私はもともと「命を何とかしてあげたい」「人を生かしたい」という想いがあります。そう言う意味で、耳鼻科は「超初期救急」とでも言いますか、大体の初期症状が診られる部分があるのです。
笠井:確かに、なんとなく鼻の調子が悪いとか、息苦しいといった感じで来院されますものね。
小田切:過去にはめまいの症状から脳腫瘍が見つかった方、鼻からカメラを入れて、気管支、肺から血が出ていたことがわかり、結果的に肺がんが発覚した方がいました。
笠井:つまり初期症状の段階で、いろいろな異変に気づき、それを見つけてくださるわけですね。さて、先生の仕事へのこだわりは何でしょうか?
小田切:2つあります。1つは愛です。一人ひとりを愛することが、医療だと思っています。
笠井:仕事は愛、ですか。
小田切:そう思っていますね。その人のためになろうとすることが、一番大切だと思っています。それからもう1つは、事実に対しては厳密でなければいけないと考えています。
笠井:事実に対して厳密であるというのは、お医者さんの領域では具体的にどういうことですか?
小田切:例えば「喉が痛い」は風邪ではなく咽頭炎である、というようなポリシーですね。口を開けてもらって見えるのどの位置はごく一部です。そこに異常がないからといって、何もないとは言えないのです。つまり、何もないと言ってはいけない。そういったことからいろいろと気づいてくるわけです。だから、事実に対して厳密であることを大切にしています。
笠井:さて、ここに至るまで、ターニングポイントとなった出来事はありますか?
小田切:やはり妻の死ですかね。
笠井:奥様は亡くなられたのですね。
小田切:ガンだったんですよ。
笠井:いつ頃のことですか?
小田切:2019年の5月8日です。
笠井:奥様のために仕事も職種も変えたなか、奥様を失うというのはかなり辛かったのではないですか。
小田切:そうなんですよね。妻を愛し、妻の目から世界を見ていこうというスタンスでしたから、どうしていいかわからなかったです。私が先に死んで、妻に生き残ってもらうつもりで、ずっと生きてきましたから。
笠井:立ち直るまでにどれくらいかかりました?
小田切:2〜3年ですかね。
笠井:何かきっかけはありましたか?
小田切:三回忌ですね。それまでは妻の墓の前で死ぬのもいいなみたいなことをずっと考えていました。ですが三回忌を迎え、墓の前から、どこかへ旅立たないといけないなという気持ちが湧いてきました。

笠井:さてここからは、仕事へのこだわりや未来へのビジョンを3つのキーワードで伺います。第一のキーワードは「モチベーション」。小田切先生の仕事のモチベーションは何ですか?
小田切:世のため、人のため、というところですかね。
笠井:患者さんのためというのはわかるのですが「世のため」というのは、どういう感覚なんですか?
小田切:私の宗教観も入ってきますが、みんなの心の中に神様がいて、神様を愛するのが本来の使命だと思っています。一人ひとりの心の中に神様がいて、人を愛するというのは、神様を愛することと同じだと考えています。だから結局、一人ひとりを愛することが、世界を愛することになると思っています。
笠井:患者さんとのコミュニケーションで心がけていることはありますか?
小田切:病気の背景には心の揺らぎといったものが関連することがあります。また治療方針についても、家族構成や生活環境を考えないといけない場合があり、患者さん一人ひとりの事情に配慮した診療を意識しています。
笠井:そうやって患者さんのために働いて、患者さんからいい反応があると、やる気につながるのではありませんか?
小田切: そうですね。患者さんが笑顔になってくれるのはうれしいですよね。
笠井: そして、第二のキーワードは「信念」です。大切にしていることはどんなことでしょうか?
小田切: やはり事実に対して厳密であることですね。
笠井:こちらはどういうところから考え方のベースが生まれているのですか?
小田切:大阪大学です。まず理屈上「これは存在するはずだ」という事象がある。そして実験でそれが証明される。この2つがあって、初めてそれは正しいという考え方が、大学で養われました。
笠井:なるほど。医学部で勉強される前に、大阪大学でそういった研究をやってこられたから、研究結果や得られた事実をとても大事にされているのですね。そして、第三のキーワードは「未来へのビジョン」です。今後の目標やビジョンを教えていただけますか?
小田切:患者さん一人ひとりに愛と喜びを感じてもらうことですね。人は絶対死にますから、死ぬときに「楽しかった」「あなたと一緒にいて良かった」という経験を、患者さんにはしてほしいです。一人ひとりを愛することが、世界を愛することにつながると思っています。それが私の診療スタイルであり、すべての患者さんを幸せにしていきたいですね。
