9月16日配信回
2024.09.16

9月16日(月)配信 株式会社エコプランニング 代表取締役 小阪賢徳

略歴

1974年滋賀県生まれ。1993年に陸上自衛隊に入隊後、夜間で名城大学法学部を卒業。教員免許を取得し、1999年に除隊して教職に就くも、地雷で足を失ったカンボジアの子供達に義足を届けている方のドキュメンタリーをきっかけに退職し、2003年に電気工事業を起業。2013年に国連NGO「JACE」と出会い、現在は理事として活動をしている。

笠井:エコプランニング、どういうお仕事になりますか?

小阪:建築をしてる会社になりまして。リフォーム、リノベーション、店舗の工事なんかもしてるのですが、元々電気屋から開業してるので、設備に強い住宅会社という感じですね。

笠井:小阪さん、経歴がユニークなんですよね。もともと自衛隊の方だったそうですね。

小阪:元々自衛隊がある町に住んでいました。大学進学を目指してたのですが、兄弟が4人いまして、親からもう仕送りは厳しい、大学行くなら自分で行けと言われて。どうやって行けばいいのっていうところで、自衛官になったら通学生制度というのがあるからそれを利用して行ってくれと言われまして。

笠井:大学に行くために自衛隊という道を選ぶと。お金がない中で、そこはある意味戦略的ではありますよね。

小阪:親の知り合いが自衛官で広報官だったんですけど、通学生制度があるから自衛隊になった方が親孝行になるよみたいに言われて。

笠井:自衛隊をやりながら大学の夜間部に通ったと。結構大変な生活だったと思うんですけれども、教員免許を取られて、自衛官を辞めて教員の道へ。自衛隊から直接教員になったんですか?

小阪:その間にちょっと人の縁があって、ユーラシア大陸1周の旅をして。バックパッカーやってる友達がいまして、その話聞いてたらすごい刺激的で、1回転職する前に行っておきたいなと。

笠井:放浪の旅から帰国して、先生になって。なぜ住宅の道へ転身されたんですか?

小阪:あるドキュメンタリーを見て。その方はカンボジアで演奏してる方に義足を無償で作って届けてたんですよ。成長するので、1年後を見越して義足を作って、1年に1回、作った義足をその方に届けていくっていうことをやっていて。この生き方すごいなと思って、自分もそういう生き方したいって思った時に、サラリーマンをしていたら到底たどり着けないだろうなと思って。

笠井:もっと自由な形で自分のやりたいことを目指すために独立をされたと。それがこの電気周り、住宅関係だったのは理由があったんですか?

小阪:なんでもよかったんですよ。今、仕事とは別で国連のNGOで活動させてもらってるんですけど、1番自分に向いていたのが電気屋だったんです。電気屋さんって結構体力いるんですよね。自衛隊で体力はついてたんで、あとは手先が器用っていうのは元々ありましたので、マッチしていて、それで今があるという。

笠井:今住宅建設の会社ですけれども、会社名がエコプランニング。全く住宅関係とは思えない名前ですが、これは何か意味があるなと思いました。

小阪:電気って生活に欠かせないものですよね。太陽光発電や蓄電池ができて、どんどん進化していて。生活を豊かにするものの中で、お客様に快適なエコな生活を届けたいと思いまして。電気屋だけでなく色々と事業を増やして、水道を始めたり、設備を始めたり。もっと総合的に建築をしたいと思って、建築そのものをやろうっていうことで、現在はすべてをやっています。

笠井:そのためには勉強とか修行とか必要だったんじゃないですか?

小阪:出会った師匠がちょっと変わった人で、ワンチャンス師匠だったんですよ。エアコンを覚えたいって言ったら、1回だけ教えてくれるんです。1回で覚えなかったらやめた方がいいよみたいな。

笠井:なんだかドラマの棟梁みたいですね。

小阪:ワンチャンスものにできなかったら、この仕事やめろ、と口癖で言われるので。

笠井:つまり、1回1回が真剣勝負。でもそれって結構自分の中で染み付いてませんか?

小阪:染み付いてますね。全て一撃で覚えないといけないと思ってました。

笠井:仕事へのこだわりはどういったものになりますか?

小阪:依頼が来たらなるべく即対応ですね。即対応できるように在庫とか持っていまして。都内でもありますよね、水漏れとか。被害があったらその日のうちに対応する。そういう風に心がけてやってます。

笠井:すごいですね。となると、企業理念はどんなところにありますか?

小阪:企業理念は、家庭に快適を届ける。それは譲れないです。

笠井:エコという部分に関して、地球環境や自然への思いがありますか?

小阪:ありますね。無駄な資源を使ってほしくないですよね。皆さんまだまだゴミの分別とかされてない方とかもいるんですけど。うちは家でも徹底してますし、生ゴミ処理機があったりとか、分別はめちゃめちゃ細かくしますね。分けると資源です。

笠井:住宅作りにおいてもそういったことを提案されている?

小阪:建築廃材が出るんですが、うちはおそらくめちゃめちゃ少ないと思います。

笠井:仕事をしていて嬉しい瞬間はどんな瞬間ですか?

小阪:やっぱりお客様がありがとうって言ってくれることですよね。普通に考えてエアコン2週間待ちって思うじゃないですか。でも電話があってすぐですから、感謝されますよね。

笠井:いや、驚異的な喜びですよ、この猛暑でその対応。でも、そういったお客さんの要望に応えることは、逆に言うと、従業員の仕事が忙しくなってくるので、従業員の皆さんへの配慮も必要じゃありませんか?

小阪:そうなんですが、従業員もそう思ってくれてるので。ほんとだったら、定時で帰れる時間に急なお客さんが来ても、自分が行きますって買って出てくれるんですよ。

笠井:良い教育されてますね。

小阪:やっぱりスタッフも家庭に快適を届けたいっていう思いでやってるので。

笠井:これからの自分の将来的なビジョンはなんでしょうか?

小阪:国連のNGOで、カンボジアで孤児院を運営してたりするんですけど、経済的な理由で養えないっていう方も預けたりしてるんですよ。そういう支援をやっているところですね。

笠井:住宅に関しては、これからよりこういうとこを強めていきたいとかってありますか?

小阪:やっぱり今、住宅価格がすごく上がってますが、うちだと設備とか電気とかいろんなことをできるんで、外注の部分が少ないんですよ。なので、比較的安く建てられると思いますので、そういう快適な住宅を届けたいっていう思いがあります。

笠井:災害に関しても色々と思いがあるんですって?

小阪:うちの町、電気が弱くて停電が多いんです。自分で電気自動車を持ってるんですけど。雷の後とか停電で周りが真っ暗闇になってる時、電気自動車とV2H(Vehicle to Home:電気自動車やハイブリッド車のバッテリーに貯めた電気を、家で使えるようにする機器)っていう装置を繋いだ瞬間、家に電気が点くんです。

笠井:それは、電気自動車をいわゆる蓄電池的に使うということですね。

小阪:そうです。そういう災害に強い町にしたいっていう思いはありますね。ただ、そのためにはお金もかかるんですけれども、蓄電池や太陽光があったら、家さえちゃんとあれば、周りが停電してても普通の生活ができますので。そういう住宅を増やしたいって思いはあります。