8月18日配信回
2025.08.18

8月18日(月)配信 合同会社社長のミカタ CSO 佐藤伸次

略歴

1966年、長野県生まれ。町工場勤務を経て30歳で営業職へ転身。全社で日本一の営業成績を収め、海外企業からヘッドハンティングも。倒産・心筋梗塞を経験し、お金と健康の大切さを実感。再起して著書・事業展開へ。合同会社社長のミカタではDX・AI・WEB3.0環境整備事業を推進している。著書『人生を楽しむ為のレシピ』はAmazon8部門で1位を獲得。

笠井:合同会社社長のミカタ、CSOの佐藤伸次さん。CSOは最高戦略責任者という意味だそうですが、社長さんではないのですか?

佐藤:CEOは別にいます。僕はマーケターという言い方をしていますが、事業を作り、自分の学校で育った中高生を社長にして会社を作っています。社長のミカタの仕事は、ストレートに言うとIT企業になります。名の通り、社長になりたいという方や、売上を上げたい方、人材教育をしたい方のサポート、いわゆる社長の悩み全てを解決する会社です。

笠井:経歴を拝見しますと、工業高校を卒業後、町工場で働かれ、その後30歳でセールスマンに転職。なぜ転職されたのでしょうか?

佐藤:実は、僕は貧乏な家で育ち、中学の時から新聞配達をしていたので、子どものうちから何かしたいことがあれば働いていました。なので、社会人になって町工場で働いた後も、夜はバイトをしていました。30歳になると昼夜働くのは疲れてしまって、時間とお金の交換だけでは限界があると。そこで、頑張れば報酬が入る世界に行きたいと思い、セールスの世界に入りました。

笠井:転職後は、携わった全ての会社で1位の成績をとって、海外リゾート会社からヘッドハンティングされたと。どんなセールスをされていたのですか?

佐藤:医療関係のサプリメントを扱っていました。知り合いに「人間はあぐらをかくから、1位を取ったらやめなさい」と言われまして。1位をとったら修行のため別会社に入って、また0から叩き上げで1位を取るというのを3回やりました。

笠井:30代はセールスの会社で過ごし、その後会社を作ったものの、倒産されたと。

佐藤:お家も財産も人脈も全部失いました。自殺も、やっぱ考えますよ。もう人が信用できなくなってしまって。そこから更に心筋梗塞で倒れまして。

笠井:今の会社は何人ぐらいでやってらっしゃるのですか?

佐藤:倒産を経験したので、なるべくリスクはかけないようにと思い、実は従業員はいません。正社員は0です。業務委託、外注の営業部隊とかがいるだけで。

笠井:サプリメントを商材とする会社を作られて、そのあと、オゾン脱臭器の販売会社も作られたそうですね。

佐藤:社長のミカタを立ち上げた時に、最初はコロナ禍もありまして、コロナを会社に持ち込むと会社が止まってしまうという悩みに応えるために、オゾン脱臭器の販売を行いました。

笠井:そして今は、社長の相談に乗りながらデジタル事業をされていると。

佐藤:デジタル庁が4年前にできて、世の中はDXだとなった時に、周りの社長はほとんどデジタル化についていけない。社内にエンジニアもいないし、環境整備も何をしたらいいかわからないと、問題が満載で。これはしっかり入り込んで、社長のお困り事を解決する必要があると。

笠井: IT関係の経歴は見受けられませんでしたが、そこはどうされたのですか?

佐藤:僕はオンラインスクールをやっていまして、成功に経験と人脈は必要ない、必要なのは、何をやりたいかという思いだと教えています。ITの話も経験と人脈は必要ない。むしろ、やろうと思うと後から人脈と経験はついてくると考えました。ただ、それはチームを作ることが前提になってきます。僕に人脈と経験がなくても、ITに優れているメーカーや、すごいエンジニアがいるところと組む、いわゆるチームを作るのです。

笠井:ターニングポイントはご病気ですか?

佐藤:心筋梗塞です。倒れた時に二人が緊急で運ばれた中の一人が私だったのですが、もう一人の方がその手術の後に亡くなってしまって。でも、僕は生きていて。命をいただいたのだと、生かされているのだと。ですので、残りの人生でしっかりとお役に立ちたい。お医者様からはもう次心筋梗塞になったらダメだと言われているので、普通の人よりも僕には時間がないということに気づきました。遠回りしている時間がないから、確実に当たるものをやりたいですし、確実にいい人と組みたいです。

笠井:私も癌のステージ4でしたから、やはり大病をすると色々気づきや、人生の転換がありますよね。癌になって嬉しいとは思わないけれども、非常に得るものがあったと思います。

笠井:社長の味方は、地方創生に注力されているそうですが、なぜでしょうか?

佐藤:僕自身が、長野県の南信州といういわゆる田舎出身でして。僕の家はもともとお米があって、ヤギがいて、鶏がいてと、ほぼ自給自足です。地方創生では地産地消が武器になると思うのですが、デジタルだけが地産地消ではなくて。デジタル庁は、地方から都会に来てそのまま帰らないのではなく、地方に行ってもデジタルの力があれば仕事ができる、そういう地方創生を掲げていますので、僕の地方を元気にしたいという思いと重なるものがあり、デジタルの力を使って、地方にいても仕事が困らないようにしたいと思います。

笠井:後半は3つのキーワードで仕事との向き合い方をお伺いしています。第一のキーワードはモチベーション。佐藤さんの仕事の原動力はどんなところにあるのでしょうか?

佐藤:人生二度目はないので、最後に自分の居場所にもなる、この地方を本気で守りたい。つまり単なる仕事ではなくて、そこが素敵な空間になることによって、地方が僕の居場所になると。更にそれが地方創生になるという、その合致した部分が僕にとってのモチベーションです。

笠井:2つ目のキーワードは、信念。どんなことがあるでしょうか?

佐藤:僕が頑張れた理由は、人間が本気でやれば誰かが助けてくれるという言葉です。モチベーションの反対は恐怖です。見えないとか、失敗したらどうしようとなったとき、僕の背中を押してくれたのは、本気でやったら必ず誰かが助けてくれる。これが僕の信念というか、全部1位になれたのも本気だったから。

笠井:ここまでの体験を聞いて、人間やる気になれば成功するのだという超前向きな心情かと思いきや、一生懸命やれば誰かが救ってくれると。

佐藤:僕はよく冗談で、成功という字を顕微鏡で見ると、失敗っていう字が重なってできていると言っています。僕がこれを堂々と言えるのは、失敗があったからこそ。僕の中では、何か壁があった時に、これは成長するために与えてくれた障害だと思っています。

笠井:最後に第3のキーワード、未来へのビジョン。どんなことを今考えていらっしゃいますか?

佐藤:いろんなことをやっていますが、全てのテーマはデジタルの力を使った課題解決です。例えば、地方創生も、ブロックチェーン技術を使って課題を解決します。不登校の学校も、実はメタバース上の学校、アバターでの登校です。

笠井:つまり、不登校の子たちが家から参加できる学校。でもうまくやらないと、単にネット上に空間があるだけになりますよね。参加してもらわなきゃいけませんから。お子さんたちの反応はどうですか?

佐藤:現在モニター募集をしています。今経済の勉強ができるアプリを作っています。日本はお金の勉強をする環境が整っていませんが、実はアメリカでは小学校からお金の勉強をしています。海外の教育をしている方を入れて、とにかく課題解決、未来の日本を救う子どもたちの育成を、デジタルの力を使った課題解決をやっています。

笠井:それがミカタKIDSフリースクール。

佐藤:34万の不登校の子どもたちの居場所として、民間の学校になります。まさに「ミカタ」が全ての事業についているのは、そういうことです。