5月6日(月)配信 ジャーナリスト 田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」などの討論番組で司会を務める。フリーになってからも、日々時事問題を対象にマスメディアの最前線で精力的な活動を展開。著書に『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』(講談社)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)、『田原総一朗責任 編集 竹中先生、日本経済 次はどうなりますか?』(アスコム)などがある。
笠井:田原さんの90歳の誕生日に「全身ジャーナリスト」という最新著書が発売されました。この本では、田原さんは子供時代に、敗戦で世の中の価値観が180度変わったことにショックを受けたとあります。どんな風に変わったのでしょうか?
田原:先生が言うことだけじゃなくて、新聞もラジオも、180度変わる。例えば小学校5年生の一学期、この戦争は悪しき侵略国アメリカ、イギリスを打ち破るものだ。正義の戦争に参加して、天皇陛下のために玉砕しろと教わるわけです。それが8月15日を経て、正しいのはアメリカ、イギリスだ、日本は絶対やってはいけない侵略戦争をやったと。
笠井:国や先生方の言ってることがコロコロ変わると、世の中に対する見方が変わりますよね。
田原:先生や偉い人の言うことは信用できないな、新聞もラジオも信用できないな、と。
笠井:それが今の田原さんの反骨精神に繋がっているんでしょうか。
田原:反骨というより、なんで価値観が変わるのか、誰が変えるのか、そこを直接確かめたい。だからジャーナリストになった。
笠井:本の中で僕が面白いなと思ったのは、NHKのディレクターとのトラブルをテレビ東京でドキュメンタリーにしようとした話。他局の不祥事をドキュメンタリーにするとは。結構無茶なことをテレビ東京でやろうとされてましたね。
笠井:無茶ばっかりやった。当時、テレビ東京はテレビ番外地と言われ、制作費も他局の半分以下。勝負しようとするなら、他局が出来ないような危ない番組、つまり下手したら警察や政府に潰される、そういう番組を作るしかないと。
笠井:実は、そこでビジネスのヒントになると感じたのが、全身ジャーナリストに書いてある「逆張り手法」という戦略。これはどういう考え方ですか?
田原:例えば、警察が頭に来ることをやる。これで警察に2回パクられた。
笠井:番組作りで警察に捕まったことがあるんですか。昔と今は違うということもあるでしょうけども、その時代であっても、それをやる人はなかなかいないですよ。「朝まで生テレビ!」も逆張り手法じゃありませんか? 深夜に徹底的に朝までやるなんて。
田原:当時テレビ東京で深夜番組を作るには大きな問題が3つあった。まず制作費が安いから有名タレントは出せない。途中で終わったら出演者はハイヤーで送んなきゃいけない。だから始発までかかる長時間番組で視聴率を取らなければならない。刺激の強いみんなが見てくれる番組、危ない番組が必要だった。そこで初めにね、昭和天皇の戦争責任ってテーマをやった。編集部はやめてくれ、そんなことやったら潰れると言ったので、タイトルは関係ないもので番組を始め、30分経ってから、本当は今日はこんなことしに来たんじゃないと言い、戦争責任のテーマをやった。
笠井:ゲリラ的じゃないですか。番組のタイトルのテーマと違うことを途中から入れたんですね。
田原:終わってから編集長にお詫びにいったら、実は視聴率が良かった、普段の7倍だったと。そっからはね、むしろ局全体が危ないことをするのを歓迎してくれた。
笠井: ここからは毎回3つのキーワードでお話を伺っているんですけれども、まず田原さんの仕事の向き合い方について。第1のキーワードはモチベーション。田原さんの仕事のモチベーションはなんでしょうか?
田原:僕は、ありがたいことに好きなことが仕事になった。僕は、教育とはなにかと一言で言うと、人生をかけて何がやりたいか、好きなことを見つけさせるのが教育だと思う。日本の教育はそうなってないですよ。宮澤喜一さんは総理大臣の時に、日本の政治家が先進国首脳会議やG7で発言出来ないのは、正解のない問題にチャレンジする教育を全く受けてないせいだと言ったんです。日本では正解を答えないといけないという教育を受けて社会人になる。ところが、首脳会議やG7には正解なんかない。正解なんかないからやるんだけども、日本の政治家は正解のある問題に答えなきゃいけないと思っている。
笠井:正解のないものにチャレンジしないとその先がないというのは、ビジネスの世界でもそうですね。
田原:サラリーマンの世界で全くダメなのは、サラリーマンは企業の中で偉くなることが目標になっている。企業の中で偉くなるには上にゴマすらなきゃいけない。日本の大企業の1番の欠陥はね、正論が通用しないことですよ。正論を言ったら左遷される、これが日本の大企業の悪いところ。
笠井:そして第2のキーワード、信念。仕事をする上で大切にしている信条ですとか、基本となる柱を教えてください。 田原:まず、言論の自由を守る。日本は言ってはいけないこといっぱいあるんです。特に会社に勤めている人は、正論を言うと左遷される。マスコミもそうなんですよね。でもそれじゃどうしようもない。だから僕は言いたいこと全部言ってました。
笠井:全身ジャーナリストに「政治家と付き合うにはお金に気をつけなければいけないという心情を持ち」とありますが、お金の提供の話が出たことがあるみたいですね。
田原:実は具体的には……
笠井:具体的に言わないで、その、ある大物政治家と。
田原:(ある大物政治家からの)金の提供をなんで断れたのかというと、あなたからのお金を受け取ると、田中角栄さんに対する裏切りになるから。そもそも最初に僕に金を持って来たのは田中角栄。渡された金を返したいと言いに行ったら(田中角栄は)親父が怒ると。親父は自民党も野党も全部仕切っているから、君は明日から取材ができなくなると。
笠井:お金を受け取らなければ取材ができなくなると忠告を受けたんですね。
田原:なんとか金を返した2日後に電話があって、親父がオーケーしたと。あの時田中さんが怒っていたら、それで僕のジャーナリスト生命終わりだった。田中さんには大感謝です。それ以後は田中さんに返したから、あなたからのお金は受け取れないと言っている。
笠井:お金を受け取らないことを反骨精神っていうのはちょっと違うんですか?
田原:だって受け取ったら言いたいこと言えなくなるじゃない。やっぱり言論を守るのがジャーナリズムだと思うから。
笠井:第3のキーワード、未来へのビジョン。ここまで本当にやりたいことをやりたいようにやって、しかもそれが認められてきて、危ない橋を無茶して渡りながらもここまできた、田原さんご自分に対する未来のビジョンってあるんですか。
田原:僕はジャーナリストでいい。ジャーナリストの立場でずっとやる。どの地位にもつかない。
笠井:それが未来永劫自分が考えているビジョンなわけですね。つまり、ジャーナリストいるってことはフリーでいるってことですね。何者にも絡め取られない。本当に今日いろんなお話を聞いて、田原さんの覚悟や思いがとてもよく伝わりました。