8月5日(月)配信 社会福祉法人ふるさと福祉会 社会福祉法人ふるさと福祉会理事長兼東京多摩学園園長 山下卓
昭和41年11月29日生まれ。東京都中野区出身。東京都出身。弟が生後間もなく最重度の知的障害を抱え、両親の子育ての苦労を目の当たりにして育つ。1990年に成蹊大学経済学部を卒業後、新卒で第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。その後、両親と有志が起ち上げた障害者支援施設社会福祉法人ふるさと福祉会東京多摩学園に入職し、2005年より園長に就任。施設運営の安定化と拡大のため、椎茸栽培やカフェ開業などに取り組む。
笠井:東京多摩学園とはどんな施設でいらっしゃるんでしょうか?
山下:知的障害者の施設なんです。知的障害者の方が全体で44名、今、奥多摩で暮らしています。森の中なので、椎茸を作ったり、畑を耕したりしながら、みんなで一緒に暮らしています。
笠井:その障害者施設を運営しているのがふるさと福祉会。山下さんは園長先生ですが、元々は大手都市銀行の銀行員だったそうですね。
山下:そうです。元々、第一勧業銀行の銀行員でした。
笠井:それが、障害者をお世話する仕事に。どうしてでしょうか?
山下:元々、弟が知的障害でして。生まれたばかりの時に手術をしたらしいのですが、その際の全身麻酔でやられてしまったと。それからすぐにはわからなかったんですが、3歳くらいになっても全然発語がなかったので、障害があるとわかりました。
笠井:東京多摩学園はどういう形で生まれてるのでしょうか?
山下:35年前に作ったんですけど、その当時は知的障害者の施設が少なくて、うちの弟も生きる場所がなかなかなかったんです。特にうちの弟は重度で、0歳のまま育っちゃったんです。なかなか人の手伝いがないと生きていけない。そこで父と母がどうにかしなきゃいけないと。私たちに弟の世話をさせるのは気の毒っていうのも当然あったと思うんで。家族みんなが安心できるように、両親が多摩学園の発起人になったという
笠井:当時は障害者の皆さんに対する差別的な対応も、今よりも厳しかったんじゃないでしょうか。そういう社会環境の中で、障害者施設を運営するっていうのは大変でしたか?
山下:信用されなきゃいけないので、とにかく父が頭を下げて、地域にこういう子たちが生きる場所を作りたいと、もう随分頭を下げてましたね。その当時は障害者施設を都内で作ると反対が起こりました。土地の地価が下がるとか、いろんな理由があったんだと思うんですけど。たまたま父の知り合いの地主さんからオーケーをいただいて作ることができました。
笠井:東京多摩学園はどんなところが特徴ですか?
山下:どうしても施設っていうと閉鎖的なイメージがあって。例の相模原の事件とかもあって、やっぱり社会にもっと彼らを知ってもらわなきゃいけないだろうと。それで、レストランを作って、一般のお客さんに来てもらって、うちで作った椎茸を出しています。あと5年くらい前から、日本演出協会さんという演劇の協会のお手伝いで演劇を始めました。
笠井:地域の皆さんと一緒に舞台に立つそうですね。そこから生まれるケミストリーと言いましょうか、どんな効果がありますか?
山下:一つは、利用者が成長したということ。やっぱり人と触れ合うことで随分成長しました。あと助けてくれる人が増えました。
笠井:理解というか、一緒に活動することによって出てきたと。地域の皆さんとのレストランにおける交流はどうなんですか?
山下:皆さんいらしていただいて、ランチを楽しんでもらってます。
笠井:障害者の皆さんたちはどんなことをされてるんですか?
山下:お店でウェイトレスをやっています。
笠井:それはいいですね。実際、地域の人と触れ合ったり、外に広がっていくという施設のあり方を展開しながら、強く感じることはどんなことですか?
山下:私たち家族を含めて、やっぱり当事者が発信しないとダメだと思います。これをやると周りの人が色々言うかもしれない。すごく肯定的な人もいれば、否定的な人もいますし。だけど、やっぱり理解してもらうには当事者が思い切って出ていく、それが必要なんだと思います。
笠井:先ほど話が出ました、2016年の相模原の障害者施設での殺害事件があって、当然ショックを受けたと思うんですが、あの事件をきっかけに特にどんなことを考えましたか?
山下:人を殺めること自体が本当にショッキングなんですけど、それ以上にやっぱりおかしいと思ったのは、被害者の名前を出せないという状況に陥ったことです。僕は何の落ち度もない被害者が、なんで名前を出せないんだろうということにすごく怒りを感じて。名前まで消されることは抹殺されるのと一緒ですから、それは決してやっちゃいけないなと。彼ら一人ひとりには名前があって、生きていること。これだけは、絶対に世間の皆様に知っていただきたいという風に思っています。
笠井:そこは我々マスコミとしても考えなきゃいけないところで、障害者施設だったら仕方がないのかみたいな、通り一遍の考え方で、名前は出せませんって言われたらそのままにしてしまうという。そういう対応だったと思うんです。
山下:名前を出して悼んでもらうことは、社会のあり方として、一番人間として大切だと思うんですよ。だからそれが出来るような社会になってほしいなって、切に思います。
笠井:仕事をしていて楽しい瞬間はなんですか?
山下:利用者が成長して、笑顔を見せる時ですよね。みんないろんな問題を抱えて来ますので、最初は笑いもしない子もいますけど、そういう子が本当に変わって笑顔を見せるとね、やっぱりこの場所はいい場所になったんだなって思いますので、本当に嬉しい気持ちになります。
笠井:最後になりますが、未来へのビジョン、これからどんな施設をしていきたいと思っていらっしゃいますか?
山下:まず、うちの学園の園生がインスタでいろんな演劇とか自分たちのパフォーマンスを発信してますので、それをぜひ皆さんに見てもらいたいっていうこと。
笠井:それはどうやって検索すればいいですか?
山下:tamagaku_artsで検索をしていただくといいと思います。あとは企業さんと連携して研修等をやって、彼らをもっと知ってもらいたい。今、実は野村不動産さんとか大手の企業さんにも来ていただいて、一緒に彼らと椎茸の作業をやってもらってます。
笠井:そうやって外の人たちと繋がっていくことが非常に重要なんですね。
山下:もうそれがないと理解してもらえませんから。やっぱり実際に触ってもらわないと、彼らのことは理解できないと思います。
笠井:今日もお二方見学にいらしてますね。お名前は?
山下:コタロウくんとタカシくんです。
笠井:なかなかこの番組見学に来る人はいないですから、園長先生はやっぱり外に出そうとしてらっしゃるんだなと。楽しそうに見てましたからね。
山下:笠井さんにお会いするのを、めちゃくちゃ楽しみにしてました。テレビで見てね、あの癌で大変だった人だって言って。
笠井:後で写真も一緒に撮りましょう。これからほんとにまだまだ大変だと思いますけれども、利用者の皆さんのために尽力してください。
山下:ありがとうございます。